戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

森部の戦い 前田利家復活劇!

場所は岐阜安八郡森部です 美濃に攻め込むキッカケを常に狙っていた織田信長斎藤道三亡き後に家督を継いだ義龍との争いが続く中 義龍が早々と亡くなってしまいます その事を知った信長は"これは我に天が味方したぞ"と義龍の息子である龍興が家督を継いだ矢先…

福島正則屋敷跡(高井寺)と 正則荼毘所跡 

場所は長野県上高井郡高山村です正則の墓所のある岩松寺で手を合わせ、その後 正則の屋敷跡と荼毘所跡に行きました屋敷跡は 高井寺になっている最初に屋敷跡に行った時、住職はお留守で誰も居らず断念をし、荼毘所跡に先に向かった。屋敷跡から400メートルく…

島津の為に戦い散った男 長寿院盛淳

大垣上石津の"琳光寺"にある長寿院盛淳の 御墓参りに行ってきました。 盛淳は島津義弘に仕えておりました。 関ケ原の合戦にて敗走の際、 鳥頭坂の退却戦で西軍が総崩れとなり、島津軍が敵中孤立してしまいます。意を決した盛淳は義弘から拝領した陣羽織と三…

朝倉義景の墓所と 義景の護持仏

この日は義景のお墓に手を合わせてから 義景が亡くなる前に匿われていた洞雲寺(東雲寺)に向かった 当時は大野城の南麓辺りに有ったと言われている 後に今の場所に変わったのだそう ご住職の奥様が出て来てくれてお話しをしてくれました この洞雲寺は朝倉家…

近江八幡城 豊臣秀次の手掛けた城下町

7月15日のその日は何だか朝からずっと秀次の事が頭の中に出て来ていたので、何でなのか不思議でしょうがなかった。 昼過ぎにネットで流れて来たのが秀次の事で、よく見てみたら7月15日が命日だというではないか!そう命日だったんです!そして秀次の八幡城の…

今川塚(供養塔)今川義元

清洲まで行き、信長様が今川義元の為に建てた義元の供養塔を見に行ってきました。最初に出向いたのは"正覚寺"!そこに義元の供養塔はある住職不在の為 奥様に話を聞いた 元は別の場所にこの供養塔はありました 正覚寺に移ったのは、元供養塔が有った場所のお…

豊国神社・太閤殿下の恩返し*太閤屋敷跡"

場所は岐阜海津市平田町小字です 立派な神社ではないですが由来はすごい昔話の中に出てくる ココにまつわる秀吉の物語です昔話の本から物語を一つ《太閤殿下の恩返し》平田町の者結(じゃけつ)には 太閤さん と言われる小字(こあざ)があり 「太閤さん」と…

藤堂高虎の出生地

場所は 近江犬上郡甲良町在士です 当時は藤堂村と呼ばれてました高虎の父は三井虎高で 母は藤堂忠高の娘・おとらである 名前を見る限り 虎に因んだ名前ですね(笑)父の三井虎高は若くして近江から甲斐の武田信虎の家臣となり「虎」の字を賜るほどの有能な武将…

仙石秀久"鈴なり武者

秀久は戸次川での大失態で長宗我部元親の息子 信親を死に追いやってしまいます その事で改易になってしまいますそんな秀久の返り咲いたきっかけを作ってくれたのは徳川家康である小田原討伐にむけ わずか20人もの兵を連れて戦に挑む!もう 自分には何も失う…

嶋左近 嶋氏館跡 (春日神社)

場所は滋賀県米原市です嶋左近の伝承として、居城は大和 西宮城の説があるが、近江の米原にも説があり嶋氏館跡がある嶋氏館跡は地名から飯村城とも呼ばれ、嶋秀安が飯村城主であった現在は春日神社となっているが、地図にも余り掲載されていないほど古い集落…

【乳母がふところ】岐阜城の戦い

織田信長の孫 織田秀信(三法師)の子供については未だ どうだったのか?と、ハッキリとした事はわかってはいない高野山を降りた後 子供を設けて子孫も居るとの話もあるが… どうなのでしょう そこで、ある伝説があるのでここでお話しをしましょう 昔 岐阜の…

仙石秀久の生誕の地 

場所は岐阜坂祝の黒岩です "仙石秀久''の生誕地に行ってきました今回で何回目なのだろう…何か情報は無いのか、何か少しでもわかればと向かったのはいいが… わかってるのは秀久の漫画"センゴク"にも出てくる黒岩神社だけだ。こうなったら役場に行って聞くしか…

戦国の国友鉄砲鍛冶師

場所は滋賀県長浜国友です "国友鉄砲の里資料館"に行ってきました。戦国時代と言えば火縄銃ですね!日本で最初に鉄砲が入って来た由来ですが、天文12年8月25日種子島の門倉岬に中国船が嵐の為に漂着、そこに乗っていたポルトガル人から始めて日本に二挺の鉄…

前田屋敷跡 前田慶次(慶次郎)

場所は岐阜県養老町祖父江です1600年 石田三成による関ヶ原の戦いとなると直江兼続と一緒に従軍して最上勢や伊達勢を相手に前田慶次は見事な戦いをしたと言われるここ祖父江には慶次が一時期住んでいたという伝承があるのだ関ヶ原合戦後家康の残党狩りを逃れ…

石山本願寺 顕如の息子教如の自画像

関ヶ原合戦に先立ち 教如は徳川家康支持を全面に打ち出します それを知った石田三成の恨みを買う事となりました教如は小山会議の後 先に京都に戻ろうとします その時石田三成派が美濃で待ち伏せ教如の暗殺をはかります 三成等に追われた教如は美濃に居る門徒…

諏訪湖に眠る武田信玄伝説

諏訪湖に信玄が眠ってると言われる伝説について聞き取り調査をしてきました 甲陽軍鑑に記載されている武田信玄が死去する直前に残した遺言は下記の通りになっている信玄は5年以上前から自分の病気が重大であると認識していたとの事 その中の遺言の一つに「そ…

武田24将 馬場美濃守信春の墓所《自元寺》

場所は山梨県北杜市白州町白須ですこのお寺初めは違う場所に有り何度か火災によって焼失してしまいます その後 馬場信春によって領地であった白須に再興されました 時は長篠の合戦 馬場信春最期の時 勝頼を逃す為 自らが殿を務める 覚悟を決めた信春は家臣の…

織田信長公の首塚 (西山本門寺)

場所は静岡県富士宮です本能寺の変での信長公の遺体はどこへ⁇その謎に迫ってきた実は静岡県富士宮には信長公の首塚がある 本能寺直後に信長公の首がここへ持ち運ばれたのだ〔と、説がある〕 ・少し 説明をしますねこの西山本門寺と信長公との結びつきは古く…

信長様の敵一倍観音 瑞應寺

場所は岐阜の笠松です 今から四百年程前 織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時の事ですある1人の家来が信長の守り本尊であった観音様を背負い野中(岐南町)まで落ち延びてきました その人はこの地に根づき百姓になって暮らす事を決め 畠の中に御堂を建て…

長政とお市の娘 初の菩提寺 栄昌院

場所は岐阜市佐野です栄昌院は織田信長の妹であるお市の方と浅井長政との間に生まれた三姉妹のうち次女の常高院(初)の菩提寺です初は近江の京極高次に嫁ぎました後は江戸で亡くなり法名を常高寺殿松厳栄昌大姉といいます 初の没後その側近く仕えた侍女七人…

関ヶ原合戦後 宇喜多秀家 逃走劇

場所は岐阜揖斐です関ヶ原から落ち延びた宇喜多秀家は ある家にて匿われたのち 恩人ともなるその人の助けで生き延びる事が出来ました でわ お話に入ります「いびのむかし話」の本の中には こんな物語があります【矢野五右衛門の義心】慶長五5年 9月15日 関ヶ…

蘭丸の父 可成の蓮台城(田代でんだい)

場所は岐阜笠松田代です ここ蓮台城は代々森家居城の城であります蘭丸の父 可成へと続いた森氏は土岐氏に仕える事二百年といわれ 土岐氏滅亡後 斎藤道三よりも織田信秀 信長を選び仕えます可成は信長と桶狭間の戦いで戦功を上げ兼山に所領地を得て移り住みま…

飯富虎昌・山県昌墓所 天澤寺

場所は山梨県甲斐です 武田24将の一人!猛将と言われた男 赤備えで有名な山県昌景と昌景の兄である飯富虎昌のお墓があるのを知り手を合わせに山梨県甲斐市亀沢まで行ってきました山里離れた集落の小高い山の中腹にそのお寺はあります虎昌と昌景の お墓の場所…

明智光秀伝説 揖斐編

場所は岐阜揖斐桂です 明智光秀の伝説は美濃の色々な場所に話が残っていて中々面白いですここ揖斐では光秀の大河ドラマにあやかって光秀伝説なる話が出てきました元々揖斐には揖斐城があるので 初代揖斐氏の兄が明智の祖である事から 揖斐氏と明智氏との関わ…

長宗我部盛親元親の正室 石谷氏(石谷城跡)

場所は岐阜石谷地区です ここは明智光秀、長曾我部元親と石谷氏の関わりある場所であります石谷氏の本が出版されたのを機に調べにかかったそして石谷地区偵察である石谷氏の居た石谷城は 今は八幡神社になっていたここで大事なのは なぜ石谷氏が明智光秀と長…

信長の妹 お市の生存説を巡る

場所は伊賀市下友田です 賤ヶ岳の戦いにて秀吉に負けた柴田勝家はお市と共に自害をしますだが2人の遺体は見つかってはいない 実は落城の様子を宣教師のロイスフロイスのイエスズ会日本年報には面白い記載がある即じ落城を覚悟した柴田勝家は落城に先立ち話の…