関ヶ原合戦に先立ち 教如は徳川家康支持を全面に打ち出します それを知った石田三成の恨みを買う事となりました
教如は小山会議の後 先に京都に戻ろうとします その時石田三成派が美濃で待ち伏せ教如の暗殺をはかります
三成等に追われた教如は美濃に居る門徒等の寺を点々と移り逃げ回り 最後は逃げ切る事に成功します(逃げたルートについては後日お話しします)
そんな折 お世話になった寺に御礼にと教如は自分で書いた自画像や身につけている物を残していかれました
その中の一つの寺に有る教如の自画像を見せてもらいました
自画像は実は一枚しか書いていないとされてますが二枚あるのです
一枚はネットにも情報が出てくるお寺で、保管されており公開日も決まっています 私が見た教如の自画像はネットにも情報は出ていないお寺にて見せてもらったものであります
これも偶然関ヶ原を探索中に たまたま覗いたお寺で話をしていたら「教如の自画像ありますよ」と、言われ見せてもらう事になったのです!なんてラッキーな日なんだ!
経緯としては このお寺で教如はお世話になったので自画像を描き お礼にと御住職に渡されたとの事です
このお寺の住職は 代々教如の教を名に付けてきてるとの事 今で17代目だそうです
自画像も劣化が激しいので どうしたものかと住職は悩んでおられました ただ 家宝なので どこにも預けたくないとおっしゃってました
とても話好きな住職さんで 1時間以上も話ししてくれました
この歴史ある物をいつまでも大切に残していってほしいものですね!
読んで頂きまして有難う御座います😊
2018 年1月撮影
教如上人の自画像