戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

三成の弟の行方は…石田善能寺

場所は岐阜揖斐大野町です
石田善能寺は 石田三成の弟の光重の子孫の方が代々住職を務めて来られました
善能寺がある寺内町の城郭伽藍をはじめとして大野町の城や郷土史について研究しておられるのは ご住職の息子さんの石田明乗氏であります
ただ今住職は15代目にあたります
氏によれば善能寺伝では第一代の住職であった横田祐尊は近江国の出身で寺内の近藤祐尊に入婿し元は天台宗の勝慶寺であったものを慶長8年(関ヶ原の戦いの3年後)に浄土真宗善能寺に転宗したということです
この横田祐尊は石田光重の長男の光吉であったと考えられます
石田三成の弟である光重はもとは豊臣秀次の家臣でしたが秀次切腹の後 世の無常を感じたためか近江の横田村に隠棲します 弟が秀次に仕えていたという事実をもってしても秀次切腹に三成が加担していたというのは冤罪である傍証の一つに挙げられます
光重の息子の光吉の時代になって横田と姓を換え美濃国に移り寺内の寺に入り その娘と結婚して住職になります
徳川による石田残党狩りが厳しい時代にあって寺は格好の隠れ場所になりました もっとも江戸時代は単に善能寺という名前であり石田という名が付いたのは明治になってからでした
揖斐の池田町にも石田姓の集落がありその方々も石田一族に違いないとご住職は言っておられました
住職さんに話を聞く事が出来て良かったです
「あんた女1人で歴史巡りしとるのかね!大したもんやなぁ。学生さん?今日は学校休み?」
 申し訳ない学生ちゃいます💦💦

まだまだ歴史は至る所に残っています それを探るのが楽しくて仕方ありません ワクワクしますね

 

今日も読んで頂きまして有難う御座います😊

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