戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

山本勘助の遺髪塚

別件の歴史探索で車を走らせていると、ふとある看板が目についた
山本勘助の墓]と書いてある
下調べなどは全くしていなかったのだが、これは行くしかない!と思い花屋を探したが正月だ流石にやってはいない。
ドラックストアに有ると思い探したが花市場も休みだからやはり無かった。仕方ないのでお酒を買い御墓に向かった。
そこは"長谷寺"という御寺だった

"長谷寺と勘助"
甲斐に出かけるにあたり勘助は、以前から親しく世話になった長谷寺に住む和尚に会いに行った。武士としていつ死ぬかわからない自分の命を仏門に祈りを込めて自ら髪を切り、襟にかけてた御守りの摩利支天と共に和尚に託し「道鬼入道、道入斉」と名乗る事をお願いして甲斐国を目指して出発した。勘助45歳
勘助と初めて対面した武田信玄は居並ぶ重臣の前で沢山の禄高を与え、更に自分の名前の一字を与え勘助晴幸と名乗る事を命じた
勘助は信玄の為なら命を捨ててでも奉公しようと心に決めた
勘助は軍略にも優れ記憶力も凄かった。長い修行と勉強のおかげで城を築く術も心得ていた
海津城高遠城小諸城などを修改築したといわれます
こうして勘助は信玄の片腕となり武田24将の一人となりました
その後川中島の合戦が12年間も続き勘助はこの戦いで何度も素晴らしい作戦を立てたが惜しい事に戦死を遂げた
勘助の死を知った長谷寺の和尚は勘助の死を痛み遺髪を埋め墓を立てた

その時の御墓がこの遺髪塚である

どうか安らかにf:id:kaori3211:20210103104658j:plain
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