戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

武田信玄の御遺骨(龍雲寺)

場所は長野県佐久市です
佐久市にある西念寺仙石秀久の墓参りをした時に御住職が「武田信玄のお寺ありますよ!」って龍雲寺さんを教えてくれました

西念寺から歩いて7分くらいの場所に龍雲寺さんがあります 思わずビックリ!勿論家紋は武田菱!
さて中に入って行き御住職さんを呼び出す(笑)出て来てくれたのは奥様
なぜここに武田家ゆかりのお寺があるのか色々聞いていたら なんと信玄公の遺骨が有るとの事!!

昭和6年に寺の玉垣の支柱が壊れて修復のために掘った場所から信玄のもの思われる遺骨や短刀 象牙造りの袈裟環が発掘されたそうで それをお寺が霊廟を建てて大切に祀っているという訳です
信玄の遺骨が発見されたときに一緒に出土された袈裟の環に「大檀越信玄公 干時天正な元年4月12日於駒場卒 戦時為舎利納○北高和尚頂礼百拝」と記載されていたそうで武田信玄終焉の地として駒場の長岳寺説の有力な根拠の1つとなっているのだそうだ
骨はその後分骨されたのだろうとの話です
ここには北高全祝禅師の墓もあるそうで信玄とは大きな関わりがある
今から説明しよう

・北高全祝大和尚
生まれは羽州(山形県)北畠顯家の子孫で12歳で父を亡くして仏門に入る
上杉謙信武田信玄に大きな影響を与え 上杉景勝 直江兼続 武田勝頼達にも信頼された名僧であった
羽州で修行のち京都普門院、甲府の大泉寺の住職を経て雲洞庵第十世、北高全祝大和尚となる のちに武田信玄に招かれ信州岩村田にある(現佐久市)龍雲寺の住職に就かれる
信玄上洛の必勝祈願の千人法憧を実施した

これは多勢の僧侶が集まり道場に籠もって行われる宗教的大行事で規模の大きさで僧録司の立場を国内外へと大きく示すことになる
天正14年12月2日没、龍雲寺で80年の生涯をとじる
また武田信玄の旗印「風林火山」を最初に用いたのは北高禅師の祖先であった北畠顯家で学識も深く孫子などの影響を受けていたとされています

てな感じで ここ龍雲寺は 信玄にとっては 深い関わりのある寺であったのがよくわかったであろう

ちなみに ここには 武田家家臣である原虎胤の墓もある
そして虎胤の末裔の方は この寺の檀家でもある

ここに家臣の墓が有るとなると信玄の遺骨も有ってもおかしくないのである

遺骨の入っている茶壺や遺留品は流石にお見せ出来ないとの事で冊子を頂きました そこに写ってる写真を載せますね

遺骨の他にも龍雲寺には武田文書を中心に38通の佐久市指定文化財の古文書その他が保存されてるそうです

さて! 真実はいかに!

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f:id:kaori3211:20200724220830j:image龍雲寺
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f:id:kaori3211:20200724220826j:imageここに 茶壺に入った遺骨や刀が保存されてます
f:id:kaori3211:20200724220900j:image信玄のお墓
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武田家家臣 原虎胤 小宮山昌友 暮石

一番右奥はわからないとの事 くらいの小さな人ではないかと言われました


f:id:kaori3211:20200724220843j:image北高全祝大和尚のお墓
f:id:kaori3211:20200724220908j:imageパンフレット
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f:id:kaori3211:20200724220855j:image茶壺に入った遺骨や刀