戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

"信玄公はここで終焉したのか…"福田寺

場所は愛知県設楽町田口です
信玄公の終焉の地の場所は何箇所か有りハッキリとはわかってはいない 

その中の一つに福田寺がある
その福田寺に行き話を聞いてきました 
元々福田寺は信玄公の宿泊地であり、戦が有ると、ここによく宿泊していたのだそうだ 
そんな折"野田城の戦い"にて信玄公は容態を悪くし福田寺にて何日か療養をしたのだが容態が悪化して息を引き取ったのだそう
死因については
・病気 
・鉄砲の流れ弾にあたった 
・病気と鉄砲の弾
これら三つである

病気の話はよく知られていますが 鉄砲については説は出てますがハッキリとは断定はされていない
ここで、鉄砲説についてお話をしましょう
・笛の名手、松村芳休が毎晩笛を吹いていると、その音色に魅入られた信玄が毎夜笛を聴きに外に出て来ていました。それを知った敵方はこれを狙って2月9日の夜、笛の音色に寄せられて出てきた信玄を定盈の家臣で鉄砲の名手だった鳥井半四郎に撃たせたのです。見事信玄に命中し家中の者は大騒ぎになり信玄を鳳来寺に運びそこで御祈祷をしに行き福田寺で療養したのです

福田寺の御住職が面白い話を聞かせてくれました。

ある医者の先生から連絡があり鉄砲説はあり得るかもしれないと言われたのだそう
その理由としては鉄砲の弾が体内に入ると菌が体を蝕み最後は死に至るのだ
そして症状の一つに歯が抜け落ちていってしまうというのです
信玄は実際に歯が8本も抜けてしまったと言われてます
病気を患って、そのうえ鉄砲の弾を受けたとあらば尚更死を早めてしまいます

この話を聞いて鉄砲説も嘘では?といいきれませんね

ここで一つ言っておきます

御住職曰く福田寺で亡くなったと説は昔から有るが、それが本当にここで亡くなったとはハッキリとは言えないとの事、資料も燃えて無いとの事で今は先祖代々話として受け継がれてきたという事です
そして福田寺にある信玄の墓に遺体はあるのか?との事について話も聞きました
この信玄の墓はもう一つ呼び名があり鎧塚と言います。鎧だけに信玄公の鎧が埋まってるのではないかとの事なんです
遺体は山梨に運ばれてしまっているので、お世話になった福田寺に信玄公の鎧をかわりに埋めさせ墓を作らせたのではないかと言われました。
もちろん鎧、もしくは信玄公の身に付けていた物、分骨されたお骨?など色々考えれますね

墓の場所も今の位置に元々有ったのではなく、今有る池の中心の祠の場所に有ったそうです
池をつくるのに一度山の上に墓を移動させ、今の場所に移ったのだそう
その時に何か出てきたのかは今の御住職はわからないと言われました

福田寺で調べられた資料を頂きました。その中に『野田戦記』『鳳来寺由来』に書かれていた事が載ってます。そこには"信玄公は福田寺にお亡くなりになる"と書いてあります
読んでみてくださいね

設楽原歴史史料館には その時使われたとされる火縄銃が展示してあります[信玄砲]

さて、真実はいかに!

 

今日も読んで頂きまして有難う御座います😊

f:id:kaori3211:20200706221652j:image福田寺
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f:id:kaori3211:20200706221713j:image武田信玄公の墓
f:id:kaori3211:20200706221704j:image馬場信春殿の墓
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f:id:kaori3211:20200706221708j:imageこの池の中心に有る祠の辺りに元御墓はありました

f:id:kaori3211:20200706222129j:image福田寺の御住職から頂いた資料です
f:id:kaori3211:20200706222125j:image信玄砲