戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

古渡城 にて信長元服

場所は名古屋市中区です
古渡の地は元々一女子という地名でした この地の由来は富豪の長女が嫁いだので一番目の女子という事で一女子と言う地名になり その後古渡となりました
信長が登場する時代まではこの辺りには入り江があり 海部郡の方に行く人が海を渡って行き来をしていました しかし この渡しも信長が開拓の為に入り江を埋め立てた為に無くなったそうです
信長の父 信秀は 天文3年に当地に平城の古渡城を築城しました 城は140メートルあり南北に100メートルある造りで 二重の堀りを巡らせた強固な城だったそうです そして信秀は那古野城から 古渡城に移り 那古野城を織田吉法師(信長)に譲りました この地に城を建てた理由は 古渡は海が近く交通の便が良い事と 織田家の重要拠点である那古野城の備えとして城を築く必要があったという事からでした
古渡に本拠地が移ってから12年後の天正15年 信長は13歳で元服をしました そして翌翌年の17年 この城で信長は 美濃のマムシ 斎藤道三の娘である帰蝶濃姫)と結婚します 勿論 政略結婚でした

天正16年 道三と信秀との戦いで信秀は美濃の大垣城の救援に向かう最中に同族で主君である織田達勝に町口を焼かれる事件が起きます この事に危険を感じた信秀は翌年に末盛城を築城して本拠地を移しました
信長は少しの間は古渡城に留まりましたが 尾張平定戦で清洲城を攻略すると拠点を清洲に移し古渡城は廃城になりました
〔参考資料あり〕

古渡城が廃城になった後 今の東本願寺が建てられら事になります

本願寺の寺門をくぐって左を見ると 古渡城と書いた石碑と説明板があります 今は城の面影はありません
本願寺自体はとても立派なので それを見るだけでも価値はあります

 

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