2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧
場所は岐阜羽島市正木大浦です 現地に行く前に聞き取り調査です 羽島市役所へ(笑)その後現地に向かいました美濃の稲葉山城では斎藤道三と息子の義龍の相続争いがありました その時の戦を"長良川の戦い"といいます長良川の戦いで 道三の援軍として出陣した信…
場所は岐阜の関です ローカルですが 美濃の戦国武将で弓矢の達人である大島雲八(光義)の菩提寺"大雲寺"へ行って来ました!雲八は信長様の家臣で 雲八と名前は 信長様に「白雲をうがつような働き」と賞され呼び名を雲八と改めたとの話なんです 雲八は 弓を…
場所は岐阜可児です実は 蘭丸の城 森家の兼山城の中に 信長様が腰を下ろして休んだと言われる休み石がある大堀切がある道に進むと左手に大堀切りと立て看板がしてある そして その先に進むと右手に小さなハシゴと立て看板が見えてくる「信長の休み石」と書い…
場所は岐阜富加町です この日は富加にある2つのお寺に行きました一番最初に向かったのは"龍福寺"である 恒興と元助の葬儀が行われたお寺ですここには池田恒興の遺品が残されている 御住職に頼んで遺品を見せてもらいましたアポも取って無く突撃訪問だったが…
場所は岐阜 可児です 森蘭丸の兄である兼山城主森長可は信長の死後秀吉に味方して「小牧 長久手の戦い」に加わったものの流弾が眉間に当たり天正12年4月9日27才で果てました家臣達は遺体を居城兼山に運んで手厚く葬ろうと決意しましたしかし、長久手から北へ…
場所は 岐阜羽島足近です 龍興と言えば 斎藤義龍の息子であり道三の孫であります 道三と義龍は血が繋がっていないと話にもあるので道三の血を龍興が受け継いでいるのかはわからないま、そんな話はさておき 義龍亡き後龍興が斎藤家の家督を継ぎ稲葉山城主とな…
場所は岐阜日野達目洞です 岐阜城麓の信長の家臣屋敷といえば西の城下町にあったのですが実は西だけでなく岐阜城の東の麓 達目洞に柴田勝家古屋敷と その家臣団の家屋があったのです 信長公記を書いた太田牛一による自筆として「内府公軍記」と「太田和泉守…
場所は岐阜日野西です岐阜城下東北の位置にある不動閣にて以前住職に話を聞いてきましたまずは藤吉郎についての説明です信長様は天下統一の拠点とするため稲葉山城(今は岐阜城)攻略をもくろみました信長様は稲葉山を包囲しましたが城の北は絶壁で長良川が…
場所は岐阜の山県市です以前行って話を聞いて資料を頂いたのでお話します山県市に残る伝承では 光秀は土岐元頼の嫡男として産まれ 土岐氏一族の末裔とされる 元頼は土岐成頼の四男であり長山四郎と称される土岐氏の一族の中で光秀の父とされる土岐元頼の名が…
岐阜城の北西の位置に当たる場所には御手洗池がある 当時はこの北西に当たる少し山を登った所に伊奈波神社があった 斎藤道三が稲葉山城築城の時に伊奈波神社は今の場所(南の位置)に移され その後丸山砦という砦になったのです丸山砦に伊奈波神社が有った頃…
場所は岐阜根尾です光秀の過去についてお話します光秀が信長様に仕えてからの光秀の足取りはわかっても それ以前の足取りはわずかな資料しか残っていない その中で ほんの少しの情報を探ってます!今回は光秀の初代正室についてお話ししましょう明智光秀の父…
岐阜城から西の方に少し行くと濃姫の遺髪塚がある 天正10年6月2日 本能寺の変信長様が亡くなった日だ そして 濃姫が亡くなった日でもあると ここに濃姫本能寺没説を思わせる墓がある本能寺の変で 亡くなった濃姫の遺髪を信長家臣が美濃に持ち帰り ここに埋め…
場所は滋賀県多賀町佐目です 昨年の8月に訪問 今メディアで話題になってるのでブログにあげる事にしました 大河ドラマの麒麟が始まると聞いて名をあげてきたのがココ佐目である。佐目には光秀の家臣である見津氏の集落があるのだその見津氏一族の住宅は 明智…
場所は岐阜垂井栗原山です まず歴史背景の説明に入ります家督を継いだ半兵衛は道三の孫である龍興の下に属し、稲葉山城下に居館を置きましたその頃に起きた事件と言うのが"半兵衛の稲葉山城奮取"である半兵衛は稲葉山城に人質となっていた弟の久作の病気見舞…
場所は大垣垂井です 竹中重門と言えば名軍師である竹中半兵衛の息子ですね。そんな重門の物語をお話ししましょう。関ヶ原合戦に向かう竹中重門一行は途中休憩を垂井の浄休寺にて取りました。合戦の前日の事である。重門は本堂へと上がり、大勢の家来達は境内…
前回は島津適中突破のお話をしましたが 今回はその先の島津義弘の敗走ルートを追いました! 関ケ原の合戦にて上石津で島津豊久 長寿院盛淳等多くの家臣を亡くしてしまいます 我が身を犠牲にしてまで 義弘を守ってくれた家臣達を背に岐阜上石津から滋賀の多賀…
以前関ヶ原の合戦で亡くなった豊久殿のお墓参りをしつつ 瑠璃光寺に行きましたアポしてなかったので 期待はしてなかったのですが 行ってみたら本堂が空いてたので 声をかけてみましたご住職が出て来てくださって 色々お話を聞かせてくれました現御住職は24代…
関ヶ原から上石津までの島津豊久の足跡を追ってきました こうして足跡を辿ると 壮絶だった事が伺えます関ヶ原西軍として島津豊久は叔父の島津義弘に加わりました島津隊少数の中 島津の戦略で応戦するが 小早川秀秋が寝返り 西軍総崩れの状態となります 島津…
場所は滋賀県古橋です前回の話の続きである古橋には三成が隠れていたと言われるオトチの岩窟がある これは有名な話だ三成を匿った谷口町の石田さんの屋敷跡から北に更に向かうと古橋がある その古橋は三成の母親の生まれ故郷だ古橋には三成に関する伝承が色…
場所は滋賀県長浜市谷口です 今回三成を巡るにあたってだが ある本に書いてあった 三成が匿われていた場所について 自分なりに足跡を辿ってみたくなりました滋賀県長浜市北野に歴史資料館【五先賢の館】があり 三成の本を見て数年前に「三成再起の6日間」と…
以前に現地まで行って島左近の謎に迫ってきました場所は滋賀県長浜市余呉 奥川並です島左近と言えば 関ヶ原の戦いでは遺体は見つかっていない逃げたのでは?と、言われてます左近は関ヶ原から滋賀の余呉まで逃げ そして奥川並と言われる集落に落ち延びたので…
少し前に大谷吉継の首塚を紹介しましたが 今回は小西行長 関ヶ原のその後を紹介します小西行長も 同じ道を辿り逃げたのです関ヶ原から古屋に抜ける峠を越え揖斐春日村にある中山地区に小西行長は身を潜めましたどのような経緯で最後を迎えたのか… 今は関ヶ原…
場所は長野県阿智駒場です 信玄が野田城を攻略の折、陣中に肺肝を得、病が重くなり三河から信州伊那を経ての帰りの帰路に容態が悪化、道中にあった長岳寺にてお付きの医師に診断を下され家臣に見守られる中、息を引き取られました。(その前に息を引き取った…
大谷吉継の首塚は滋賀県米原にありますが、実は もう一つあるのです 場所は、関ヶ原から北に向かうと明神の森の看板があり、そこから山に入って行くと、 岐阜揖斐春日村の古屋まで抜ける旧道があります。 その峠を越える途中に吉継の首塚はあります。 とても…