戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

明智光秀の煕子の前の初代正室は…(長嶺城)


場所は岐阜根尾です
光秀の過去についてお話します
光秀が信長様に仕えてからの光秀の足取りはわかっても それ以前の足取りはわずかな資料しか残っていない その中で ほんの少しの情報を探ってます!
今回は光秀の初代正室についてお話ししましょう
明智光秀の父 光綱の弟が 根尾の長嶺城の山岸氏の養子になりました 名は山岸光貞と言います
この長嶺城は光綱の妻の実家であります
山岸光貞と女との間に千草?(不明)と言われる娘が産まれており 光秀の従妹で後に光秀の妻となるのでありました
千草は病気にて早くに亡くなってしまいます

千草と光秀が結ばれたのは天文15年 光秀19歳で千草は16歳の時と言われます
なお光秀が妻木広忠の娘 煕子を妻に迎えているのは天文22年との事ですが これには色々諸説があります

光秀と千草の間に産まれたのが光重で 千草が亡くなってからは母方の山岸氏に育てられ山岸家を継いで 後に光秀の家臣となりました
山岸氏と明智氏との繋がりは 又後に話たいと思います
ただ 根絶やしさせない為に親戚同士の結婚は あの時代は普通にありました
今は山岸氏の末裔は 岐阜の谷汲に住んでます 根尾から谷汲に移ったのです
長嶺城は遺構は残ってると言える程残ってません 少しです
長嶺城の地主さんに話を聞こうと思って何度も行き玄関を叩くが留守でした( ̄▽ ̄;)平日はお留守💦
文献があるとの事なので 次回は必ずアポ取って話を聞こうと思ってます

 

(注!千草という名前については ハッキリとした事は言えませんが ここではあえて千草と呼ばせていただきました)

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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