戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

信長様安土城築城計画 木村城(常楽寺城)

場所は近江八幡安土町です
近江八幡に行った時 ある場所に寄ってきました それは木村城(別名 常楽寺城)です 
六角氏の観音寺城の外港として機能した琵琶湖東岸の港 常楽寺港を守る木村城主の木村氏は 元々沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴神社神職常楽寺の領主でした

『二条宴乗記』によれば木村氏は観音寺城の戦いで大敗を喫して甲賀へと退いた六角義賢を見限って信長様についています。その後木村氏は安土の町奉行となり安土城建築に携わったようです
岐阜から安土に拠点を移す計画を信長様がとったのは 築城宣言より数年以上も前の事でした
元亀元年に安土麓の常楽寺で相撲を興行 同年2年木村城に滞留し一向一揆の金森城を攻略 同3年、天正3年にも木村城で宿泊
木村城と信長様との関わりの記録をみると 観音寺城を落としたところから 既に信長様の心の中は天下の拠点として安土の地があった事を推測させる、おそらく当時から 小規模ながら城作りの作業がはじめられていたのでしょう
木村城では 色々計画が練られていたのてしょうね

木村城は常楽寺湊の湖水を上手く利用して建てられています 城の周りも水堀のようになってました
今は船の出入りは出来ているのか? と、いった感じですが 一応使われていないボートがあります😅
常楽寺湊が使われるようになったのはいつごろかは定かでありません
史料に「常楽寺船人」という記述があることから 六角氏のもと琵琶湖舟運の湊がすでに16世紀半ばにはあったことがわかります つまりは観音寺城の湊として利用されていたのです
さらに天正3年には明智光秀が坂本から船で佐和山に移動中風待ちで常楽寺港に寄港しています
安土城築城にあたって物資の運搬 さらには信長様の出陣や移動の際にも常楽寺港の存在は大きな役割を果たしていました

地元の商工会の方に色々聞きましたが 信長様が木村城に宿泊していたとは知らなかったと言われました😅ですが地図で木村城の場所を教えてくださりありがたかったです

この辺りを信長様が安土城を作る為に行き来し 木村氏の居城木村城に宿泊をしてたかと思うとワクワクしますね^_^
マニアックな場所ですが この場所は安土城に関わる重要な場所であったのでご紹介させていただきました

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

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f:id:kaori3211:20200328075022j:image木村城跡 今は畑
f:id:kaori3211:20200328075025j:image木村城石垣
f:id:kaori3211:20200328075019j:image水堀
f:id:kaori3211:20200328074954j:image船着場
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f:id:kaori3211:20200328075016j:image常楽寺
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