蒲生氏郷は今から460年程前に日野の中野城で蒲生賢秀の子として生まれ 幼名を"鶴千代"と言います
氏郷の才能を見込んだ信長様は元服させ自分の娘冬姫と結婚させて日野へ帰らせました
"忠三郎賦秀"と名乗った氏郷は信長の元で各地の戦いで常に輝かしい働きをしました
当時の勢力範囲は現在の日野町 旧蒲生町のほぼ全部と東近江市の旧玉緒村 急市原村に及ぶ広大な地域でした
天正10年本能寺の変で信長様が明智光秀に討たれると明智勢の攻撃に備えて安土城に居た信長の家族を自分の城である中野城に迎え匿いました
信長亡き後は秀吉につき伊勢平定に目覚ましい功績をあげました
この頃から氏郷は故郷日野を離れる事になります
松坂城主 会津若松城主となり秀吉の下で尚働き会津では92万石で関東の徳川、中国の毛利に次ぐ天下3番目の大大名となりました
秀吉が朝鮮侵略の野望をいだき氏郷も九州まで出陣しましたがこの時病に倒れ文禄4年2月7日に惜しまれながら京都屋敷で亡くなりました
わずか40歳という若さです
蒲生軍は戦に強いだけでなく規律の正しい事も有名で行軍中は住民に対し略奪したり迷惑をかけたりしませんでした
氏郷の教育が行き届いていた証拠ですね!
家臣も氏郷の死を随分と悲しんだ事だと思います
氏郷が松坂へ転封の後寺院は荒廃しましたが氏郷の祖父定秀の隠居所があった場所に再興されました
氏郷の遺髪塚 初陣の鎧兜の断片 御持仏など蒲生家の遺品が残されています
遺髪塚にお参りをしてその後遺品を見せていただきました
いつもアポ無し突撃で行くのですが毎回貴重な物をみせていただき感謝です
晴れ渡る空の下氏郷に手を合わせる事が出来て良かった
読んで頂きまして有難う御座います😊
写真は了承済みです
2020年3月訪問
蒲生氏郷の銅像
蒲生家の菩提寺信楽院
蒲生氏郷の遺髪塚 蒲生家の菩提寺という事で氏郷の髪の毛が埋められいます
本堂を開けてもらいました
蒲生家と氏郷の御位牌です
氏郷初陣の時の兜と鎧の一部です 初陣は15歳でした これはお宝ですね
前田家から寄贈されたもの
蒲生家伝来の太刀
秀吉の禁制礼
左•蒲生忠知 右・蒲生 貞秀(智閑公)氏郷寄付
蒲生家の仏様がこの中にあります