戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

明智煕子を巡って

場所は岐阜土岐市妻木です
明智光秀の妻である煕子の妻木城まで以前に行ってきました
と、言っても妻木城は前に攻めたので登らず 妻木城歴代城主の菩提を弔っている崇禅寺に行きました。目的は煕子のお墓と御位牌があるかどうかを確かめに行く為だ。(滋賀の西教寺に御墓があるのは知ってる)

いつもながらアポは取っていない(笑) ですがラッキーな事ながらご住職はおられたので話を聞く事にしました。
今のご住職は40代目?に当たり崇禅寺を守ってきておられます。 早速 煕子のお墓は有るのか聞く! 無かった😅 妻木氏の娘だから有るかも?と、思ったのだが… 無いので 煕子の父である 広忠のお墓は有りますか?と、聞いたら有るとの事 勿論 妻木城城主なので有って当然だ、お墓まで案内をしてくださりました。

 

・広忠は信長様に仕え、光秀の与力となり成果を挙げます。本能寺の変の後、山崎の戦いで光秀が敗れ、坂本城が陥落すると西教寺で一族の墓を作った後に墓の前で自害しました

 

普段はお墓のある場所には入れなくなってます お願いすれば通してもらえます。住職から色々話を聞いて その後本堂の奥の院にある御位牌堂に案内していただき 御位牌に手を合わさせていただきました。広忠の御位牌ですが 下の部分だけしか残っていません。朽ちてしまって 今は別に保管してあるとの事、丁度ご住職が妻木城主が氏神様としていた八幡神社の神主さんと連絡を取っていたので 詳しく話が聞けるからと紹介してくださいました。
崇禅寺を後に八幡神社に向かう そこで神主さんと1時間程お話をして色々教えてくださいました。
神主さんは妻木城址の会をやってまして妻木城 そして明智光秀の事 妻の煕子の事を色々調べておられ とても詳しかったです。
資料などのコピーを頂きました

ここでわかった事は 光秀の妻 煕子の名前についてですが 煕子という名前は小説からが始まりであって実質は 煕子ではないとの事
・松竹映画『敵は本能寺にあり』では さつき 皐月
・『国取り物語』おまき お牧
・『秀吉』 ひろ子
・『功名が辻』 まき 槇
・『麒麟がくる』 煕子
・『明智光秀〜神に愛されなかった男〜』 ひろ子

などと名前が違います
可児市郷土史によれば お牧の方と書いてあるので 煕子か お牧かと言えば お牧の方が信憑性は高くなります
恵那にある お牧の方と言われるお墓がありますが そのお墓は光秀の母の墓だと言われています 神主さんが言うには そのお墓は光秀の妻の墓ではないのかと言うのです 但し その墓には お牧の墓だとはわかる戒名も何も掘ってはいない なので誰の墓?なのである

今注目されているのは光秀の妹である妻木殿の存在なのです
実はこの妹の妻木殿は織田信長の側室でもありました
この妻木殿は信長の使者として色々な所へ派遣されており 信長や光秀にとっては とても大切にされていた人物なのです
ある時 光秀の妹妻木殿が病気にて亡くなってしまいます
「去七日八日ノ比惟任ノ妹ノツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也」
去る7日か8日頃か、光秀の妹「御ツマキ」死去、信長一段の気好き(一番好き 一番愛した女)光秀は比べ物にならない程力を落とした

と、あります いかに大きな存在であったのかが よくわかります

ここで妻木殿に関する研究者からの考え方としては
・信長のお気に入りの側室本能寺の変の遠因となった
・信長をとりなしてくれる御妻木殿のような存在が居なくなった
・信長の奥向きを任せられた高級女房衆であったらしい 光秀にとって肉親を失う以上に政治的損失であった
・光秀にとって妻木殿は信長の関係を取り持つ なくてはならない存在であった

ようは妻木殿を失った事で光秀は全てを失ってしまう事に気がおかしくなってしまったのでは と、いう事なんです
ハッキリとは断定できませんが 本能寺が起きた原因の一つであると考えられる との神主さんの話です

歴史は奥深いですね!

 

その後は妻木公民館郷土資料室も神主さんが鍵を開けてくれて案内していただきました
妻木本家四代と文化財なる色々な物が展示してあります
私が見たかったのは妻木家頼の甲冑です 家頼は当時2メートルもある大男だったと言われます 甲冑を見るとかなりの大きさ!胴回りもかなり太いです 甲冑の頭部や胴には火縄銃の試し撃ちの跡があります 実戦用の甲冑である事は間違いないです 色々展示物はありますが 紹介しきれず申し訳ない 資料室は午後からしか空いてない場合が多いので問い合わせて行ってくださいね

 

今日も読んで頂きまして有難う御座います😊

 

f:id:kaori3211:20200520062350j:image崇禅寺
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f:id:kaori3211:20200520062330j:imageこの奥に広忠や歴代城主の御墓があります
f:id:kaori3211:20200520062338j:image明智煕子の父である広忠のお位牌です 台の下しか有りません
f:id:kaori3211:20200520062346j:image妻木氏歴代城主の御位牌
f:id:kaori3211:20200520062357j:image妻木公民館歴史資料室
f:id:kaori3211:20200520062326j:image妻木家頼の甲冑です
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f:id:kaori3211:20200520062401j:image妻木家の槍です
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