岐阜城の北西の位置に当たる場所には御手洗池がある 当時はこの北西に当たる少し山を登った所に伊奈波神社があった 斎藤道三が稲葉山城築城の時に伊奈波神社は今の場所(南の位置)に移され その後丸山砦という砦になったのです
丸山砦に伊奈波神社が有った頃は この御手洗池にて手を清め参拝をしておりました
今の御手洗池の場所は歩道や車道など作られ道が出来ていますが あの頃は山の際まで長良川が流れており 御手洗池の場所は淵になっており水深く流れもゆっくりな場所でした
時は関ケ原の戦い 西軍に着いた岐阜城主であった織田秀信を攻めに東軍である池田輝政、福島正則等が攻めて来ました これが"岐阜城の戦い"です
この時 追い詰められた多くの奥女中達は伊奈波神社の有った丸山から御手洗池の淵に身投げし亡くなりました…悲しき池に御座ります
きっと 天へ運んで下さる様この場所にて手を合わせ祈りながら亡くなって逝ったのでしょうね
読んで頂きまして有難う御座います😊
御手洗池 今は綺麗に整備されているが昔は暗くひっそりとした場所でした
伊奈波神社があった時の遺構
丸山砦
この裏の辺りから身投げをしたようです どうか安らかに…