戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

濃姫の遺髪塚

岐阜城から西の方に少し行くと濃姫の遺髪塚がある 

天正10年6月2日 本能寺の変信長様が亡くなった日だ そして 濃姫が亡くなった日でもあると ここに濃姫本能寺没説を思わせる墓がある
本能寺の変で 亡くなった濃姫の遺髪を信長家臣が美濃に持ち帰り ここに埋めたのだ
大平洋戦争にて一度この墓は火壊してしまい 後に新しく建てられたのだ 

ここの話を管理者の方に色々聞いてみた

管理者のお婆さんの時から話を受け継いでおり、昔から「これは濃姫の御墓だよ」と聞かされていたそうな

詳しく聞くと 当時は 立木が濃姫の墓の目印になってて 寛文期に墓らしい物が出てきて その後戦争で焼け 昭和51年に今の墓が新しく建てられたのだそう 碑文があったそうで その通りに書いたらしいのだけど どうやら寛文とは その時に墓として しっかり建てられました的な事なのだと言ってました 

でも 私が疑問に思う事は 本能寺で信長様と一緒に亡くなられたのに何故濃姫の葬儀をやったと話に出なかったのか

京都の阿弥陀寺には濃姫と思われる墓もあるが本当に濃姫の墓なのかも定かではない

当時は濃姫岐阜城城主であった信長の息子織田信忠の側に居たとも言われている

なので本能寺の変の時は岐阜に居たとも考えられ余生は長く生きたのだとか

でも歴史はその時代に行かないとわからない

全くもって濃姫は謎である

 

でも本能寺で信長様と帰蝶の2人が亡くなっていたのなら浪漫でありまするな

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

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