戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

信長の側室 生駒吉乃(久菴)の里

皆さんもご存知であろう吉乃(実の呼び名は久菴であるが ここでは吉乃と書きます)は信長様の側室です
吉乃は生駒氏3代目家宗と岐阜大垣の西尾氏の長女との間に産まれた娘です
そんな吉乃の足取りを辿り以前愛知県江南へ行ってきました

・信長様と吉乃との出会い
生駒家には色々な人が訪れ情報網である事から 信長様が頻繁に生駒屋敷を訪れ 諸国の情報を収集しに来ていた事が始まりでした
そこで吉乃と出会う事となり信長様が一目惚れをし 側室として迎え入れる事となります
この時 信長様は生駒家で秀吉とも出会っています(と、言われる 説は色々)

信長様と吉乃の間には後に嫡男となる信忠と 次男の信雄 長女の徳姫が産まれました
正室となる帰蝶との間に子が居なかった事は残念である…)
徳姫を産み 何年か経った頃吉乃は亡くなってしまいます…

吉乃の産んだ息子を嫡子にする事で 吉乃に対する信長様の愛情が伺えますね

探索コース〜〜
・久昌寺
吉乃の墓所です
吉乃の香花の場として信長様より660石を賜った由緒ある寺であります

・生駒屋敷
生駒氏の居城です
ここで2人は出会ったんですね

・廣間家の門
生駒屋敷の門を移築されました

・吉乃の方荼毘地(経塚)
高さ125センチの碑に観音像が浮き彫りしてあり 小牧山に向かって建てられています
吉乃を荼毘にふしたところです
帰らぬ人となってしまった吉乃を思い信長様は一晩中泣き明かし その後も一人小牧城の望楼にたたずみ この地に向かって涙する日が続いたといわれています

富士塚
小牧長久手の戦いの際には徳川家康がここから敵陣を視察したとも言われています
六角柱の石碑は生駒家6代利勝が家門の由緒と武勲を後世に伝えるため建てたものです

・江南歴史資料館
資料を頂いてきました
※写真は了承済みです

 

信長様が愛した女吉乃はとても魅力的な女性だったのでしょうね

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

f:id:kaori3211:20200313074101j:image吉乃菩提寺 久昌寺
f:id:kaori3211:20200313074116j:image
f:id:kaori3211:20200313074119j:image
f:id:kaori3211:20200313074109j:image
f:id:kaori3211:20200313074048j:image吉乃の御墓
f:id:kaori3211:20200313074040j:image
f:id:kaori3211:20200313074043j:image生駒屋敷
f:id:kaori3211:20200313074123j:image
f:id:kaori3211:20200313074037j:image
f:id:kaori3211:20200313074028j:image
f:id:kaori3211:20200313074051j:image吉乃の荼毘地(経塚)
f:id:kaori3211:20200313074024j:image
f:id:kaori3211:20200313074105j:image冨士塚
f:id:kaori3211:20200313074054j:image
f:id:kaori3211:20200313074057j:image
f:id:kaori3211:20200313074112j:image