この銅像 愛知県春日井市牛山町の名鉄線 間内駅東にあります
なぜ長政の銅像がそこにあるのか!
話によると
小谷城落城後 織田信長の命により長政の嫡男 万福丸は関ヶ原で秀吉の手によって殺されました 次男の万寿丸は まだ赤児だったので命を助けられ後に出家させられたとも言われています
信長側からすると浅井の血筋は途絶えたかと思われていました ところが長政には八重の方という側室がいたのです
小谷城落城時 長政との子 七郎を連れて美濃へ逃れていたのです そして七郎が20歳の時に愛知県小牧市に移り慶安三年に亡くなりました
以後 子孫は代々この地に住んでいましたが七郎から数えて九代目の新七という人が故あって神奈川県藤沢市に移ることになりました その後 新七さんの孫に当たる方が先祖の霊を慰め末永くこの地を残すために旧宅跡地に浅井長政の銅像を建立しました
ちなみにこのお宅は1447坪もあったそうです 歴史の舞台に出てくることはなかったけれど この地でその血筋を絶やすことなく継承していったようです
牛山浅井家
長政-七郎-七蔵-弥蔵-新四郎-常右門-新左エ門-新四郎-新左エ門-新七-十代嗣-武雄
〈参考資料により〉
このように 長政の血は 信長様に知られる事もなく ひっそりと受け継がれていったわけです
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