場所は長野県上高井郡高山村です
正則の墓所のある岩松寺で手を合わせ、その後 正則の屋敷跡と荼毘所跡に行きました
屋敷跡は 高井寺になっている
最初に屋敷跡に行った時、住職はお留守で誰も居らず断念をし、荼毘所跡に先に向かった。屋敷跡から400メートルくらい北に行っただろうか、畑の真ん中だ
酒が好きだった正則にワンカップをお供えして手を合わせてきた
石碑に「酒好きだもんね」などと語りかける
胸が熱くなった…
ここ荼毘所跡は、当時の住民により1本の杉が植えられ、以来三百数十年いつしかその地は「一本杉」と村民に呼ばれてきました
一本杉は傷をつけると血が噴出すと、長い間村民の間に伝承され大切にされてきてます
この荼毘所跡は正則に関する貴重な史跡であります
さて、ここで再度リベンジで高井寺に出向く!誰か居ましたよ!玄関で声をかけると出てきてくれたのは住職の奥様
正則の屋敷跡の事を色々聞いた
今遺構として残ってるのは 土塁だけだと言われました
元々 正則の頃から このお寺が有ったわけでもなく屋敷が壊された後に出来たのだと言われました
正則が亡くなったのも、この屋敷だったのは間違いないそうです
実は このお寺には正則の私物や古文書などが残されており、今でも保管されているとの事です
「御堂を開けてあげますから 上がってください」との事で 開けてもらい中を覗くと! 正則の肖像画とお位牌があるではありませんか!
肖像画ですが いつ頃 だれが描いたのかはわかっていないそうで テレビ番組で使われたのは この肖像画だと言われました
至るところに正則の肖像画はありますが 全て顔が少し違うようです
ですが、思わぬお宝を見れた事に感謝です
他は、正則の槍と掛け軸、家康から正則が頂いた御釈迦様の骨が入ってる壺があるそうで、それは公開出来ず コピーを頂いたので それで紹介です
色々話を聞きましたよ、正則がこの地に移ってきてから ここで治水工事、用水建設、新田の開発を積極的に行い領民に慕われていたといわれました
決して苦しいだけの人生では無かったのだと
病死した正則の死骸は7月の暑い盛りであったので幕府の検死を待って1ヶ月 そのままにされたそうです。腐敗が進んだので検死が済む前に荼毘に付したそうです😭
「このお寺には正則のお墓は無いのですか? 」と、聞いたら無いと言われました。ここで亡くなったのに無いなんて… 碑はあるとの事で見てきました
色々語っていただき貴重な物まで見せていただいたので大満足です
正則の人生の最後は良かったのだと、ここに来てわかりました
読んで頂きまして有難う御座います😊
福島正則の屋敷跡にある高井寺所蔵の 正則肖像画
正則の御位牌
高井寺(正則屋敷跡)
御堂の中
正則の碑
高井寺所蔵の正則の槍
正則が家康から頂いた御釈迦様のお遺骨と 正則の掛け軸
荼毘所跡
酒をお供え
一本杉