戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

森部の戦い 前田利家復活劇!

場所は岐阜安八郡森部です

美濃に攻め込むキッカケを常に狙っていた織田信長
斎藤道三亡き後に家督を継いだ義龍との争いが続く中 義龍が早々と亡くなってしまいます その事を知った信長は"これは我に天が味方したぞ"と義龍の息子である龍興が家督を継いだ矢先に総攻撃をしかけます
攻撃を仕掛けたのが義龍が亡くなった2日後?と言われているが 私が思うに義龍は病死ではなく既に織田軍の手によって殺されたものではないかと思っております!
ま、そこはさて置き 織田軍VS斎藤軍の森部の戦いの火蓋は切って落とされたました
ここに出て来る前田利家だが 利家22才 信長の勘気をかい 流浪の身となっておりました 『利家記』によれば 信長の同明衆の一人 拾阿弥に利家が大切にしていた笄を盗まれた事や 度重なる讒言に利家は怒り 拾阿弥を信長の目の前で殺してしまいます 世に言う「笄斬り」
信長は寵愛する拾阿弥を殺されて激怒します 利家の成敗を命じた程であったといいますから余程でしょう
その事から利家は出奔し浪人となります その後桶狭間の戦いに参戦し敵方の首級をあげますが帰参を許される事はありませんでした 翌年の森部の戦いにおいての活躍により ようやく帰参を許される事になります
利家が相手した足立六兵衛は「首取り足立」と呼ばれるほどの荒武者で後に信長が「足立の首は城一つ攻め滅ぼしたも同然」といわせたほどの猛将でした
利家の"ヤリの又佐"のあだ名のとおりの働きぶりが伺えます 当時 利家24歳のことです

森部の戦いは信長にとって美濃攻略の突破口であったと同時に 利家にとっては 加賀百万石の大大名への栄達に繋がる重要な戦であったといえます よく頑張りましたね利家!

因みに行ってきた場所の1つは"森部薬師堂"で 信長が森部合戦の首実験を行い葬った場所で首塚とも言われ合戦戦没者を祀る石塔があります 利家は討ち取った二つの首を持参し戦功が認められました
その時に信長が鎧を松にかけたと伝えられる「鎧かけの松」が昭和30年頃まで残っていました 今は2代目です

もう一つは"出世の松"ですNHKの大河ドラマ利家とまつ」の放映に合わせて出世の松と名付けられた松の木が植えられています

 

この戦いで利家は復活出来た訳ですから良かったですね

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

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f:id:kaori3211:20200229075332j:image森部薬師堂
f:id:kaori3211:20200229075335j:imageこの薬師堂の前で首実験が行われました
写真には写ってませんが(撮り忘れ💦)この右手に 信長が鎧をかけた松があります
f:id:kaori3211:20200229075338j:image森部合戦の石碑です
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f:id:kaori3211:20200229075341j:image利家出世の松
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信長寵愛の拾阿弥を利家が切ってしまった原因の一つ