戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

織田信長と斎藤義龍!大浦の戦い

場所は岐阜羽島市正木大浦です 

現地に行く前に聞き取り調査です 羽島市役所へ(笑)その後現地に向かいました
美濃の稲葉山城では斎藤道三と息子の義龍の相続争いがありました その時の戦を"長良川の戦い"といいます
長良川の戦いで 道三の援軍として出陣した信長であった だが道三を救う事は出来なかったのだ…
道三は「美濃一国は信長に譲る、全て任せる」と言い残して義龍軍に攻められ討ち取られてしまうのであります

今日行ってきたのは 信長が長良川の戦いで 陣を張っていた場所です
信長公記によると!
信長は軍勢を整え出陣し木曽川の船渡しを超えて、大良(大浦)の戸嶋東蔵坊の構えに陣をとりましたと、書いてあります ここは 昔 戸嶋東蔵坊が居住した砦で記録によると寺砦と書かれています 本来は寺院であった跡が砦として利用され大浦城と呼ばれました
20数年前に大浦新田区で土地改良工事がが行われた時 城山と呼ばれる地区で石垣と思われる大きな石が多数出てきました それは城山の地名が示すように 紛れもなく大浦城であると確認されました
秀吉の時代には 資料の上ではっきりと"大浦城"として登場してきます 小牧長久手の戦いで竹鼻城を水攻めした時に前線基地としても使われました
大浦城の有った場所には金矮鶏神社 という小さな社が祀られています
大浦城には 二つの不思議な話が残っています一つは 銭亀の話です
信長がこの地に陣をおいた時 東蔵坊の内堀や垣根に銭亀が現れて 一帯は銭をひいたようになりました 銭亀は水亀の子供で 近くの水辺の砂中に産卵したものが孵化して一斉に出てきたのです
このような事は不吉の前触れだと言われていました
さすがの信長もこの光景には驚きましたが ためらわず兵を進めました
斎藤道三長良川で討ち死にされた事も知らずに大浦の河原で斎藤義龍と戦いました(大浦の戦い)
この頃 尾張の岩倉では一族の織田信安が信長を裏切りました銭亀の凶事が現実になりました
信長は自ら殿を務め無事尾張に帰還するのだが その時 追い迫った義龍軍の騎馬に対し舟の上から信長自ら鉄砲を打ち込み撤退させたとのことです。
信長はついに道三を助ける事が出来ず 大浦城を去りました

先程 金矮鶏神社 という小さな社が祀られていますと言いましたが
大浦城のお姫様は落城がせまっていたとき家宝の金矮鶏を抱いて城内の井戸へ身を投げて亡くなりました
その後 この城跡では毎年元旦の早朝に金矮鶏の鳴き声が3声聞かれると伝えられてきたそうです
この後金矮鶏伝説につきましては 信長時代より前の土岐氏の時代の事ではないか?と、言われているので ハッキリとはわかりません
信長と義龍の大浦の戦いの時だとも言われてるし…
大浦城は 焼かれては又砦が出来…を繰り返しておりました

大浦城跡地から東にはすぐ木曽川が流れており その河原にて戦が起こったとされます
確かに ここから北を見ると真北に岐阜城が見える でも距離はかなりあるなぁ もっと早くに出陣していたら 道三は助かっていたかもしれませんね

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

昨年2月現地訪問

 

f:id:kaori3211:20200130080721j:image大浦城跡 土が盛り上がって見えますね
f:id:kaori3211:20200130080736j:image矮鶏神社
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f:id:kaori3211:20200130080727j:image大浦河原です ここで戦がありました
気が立ち並ぶ向こうは川です
f:id:kaori3211:20200130080725j:image大浦から見る岐阜城です