戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

織田信長ゆかりの寺 円徳寺

場所は岐阜県岐阜市神田町です
円徳寺と言えばTVでもよく紹介されているので有名です
いわゆる岐阜市の街中にあります
元々この場所に円徳寺は有った訳ではありません 当時は上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています
その長旗は円徳寺からも歩いてすぐの場所にあります 今は何も残っていないので この場所に建っていたのですよ!とはハッキリとは言えません…
今円徳寺に残されている物としては ・織田塚 ・かみきり塚 ・信長の陣鐘・楽市楽座の制札・織田秀信の烏帽子兜・織田秀信肖像画である

・織田塚
天正16年に織田信秀(信長の父)が斎藤道三を攻め 円徳時の東方で道三の挟み撃ちにあい大敗しました 犬山城主の織田信康以下5千人の織田軍の戦死者を葬ったのが織田塚です

・かみきり塚
関ヶ原の戦いで西軍についた織田秀信(信長の孫)が落城後 円徳寺で剃髪し高野山に入りました その時髪を納めて「かみきり塚」としました 秀信は遺品として"烏帽子形兜"と"肖像画"などを円徳寺へ預けていかれました

・円徳寺の鐘(織田信長の陣鐘)
信長が稲葉山城斎藤龍興(道三の孫)を攻めた時に使った陣鐘です その陣鐘と本陣の地を円徳寺に寄進し長旗にあった円徳寺(浄泉坊)を 現在の神田町に移転させました

楽市楽座
楽市楽座とは自由交易市場の事で 商工業を盛んにする為市場での税を免除したりして 誰でも自由に商売が出来るようにしたものです 岐阜に入場して織田信長が円徳寺の門前に形成されていた寺内町の特権を保証した制礼で信長の花押があります

ここに出てくる織田塚ですが 元は違う場所にあり 今は円徳寺に移されています TVで円徳寺に移される前の織田塚の有った場所を紹介をしていましたが TVで紹介された場所に本当に有ったのか!?って謎を私は抱いています
実は岐阜市には織田塚町という地名の場所があり そこは円徳寺から東に2キロ程の所なんです 円徳寺から東の辺りで信秀と道三との戦いが起きている 織田塚町の辺りが まさにそうなのではないのか!
勿論この場所はTVでも雑誌にも紹介されてはいない むしろ知らない人がほとんどである
何度もこの辺りを色々探ったが今は塚が有った形跡は無かった だが地名だけは残っている…
結論からして ここ織田塚町で戦が起きて ここに織田塚が作られた信憑性は高いのである
あくまで私の推測だが…
織田塚町の有る辺りから北を見ると直ぐ山があり岐阜城が有る そこから織田信秀は攻めようとしていたのであろう

ま、こんな感じである

円徳寺で聞きましたが秀信の鳥帽子や肖像画は公開日以外は見れないそうです。明智光秀を巡る旅のついでに鳥帽子の公開日に合わせて来ると良いですよ

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f:id:kaori3211:20210101200024j:image織田信長の陣鐘
f:id:kaori3211:20210101200029j:imageかみきり塚
f:id:kaori3211:20210101200004j:image織田塚
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