戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

今川義元公の今川塚(今川社)


場所は愛知県東海市高横須賀町戌亥屋敷です
なぜ東海市に義元の塚があるのか…
地元の今川組(笑)の会の方に話を聞いたので今からそのお話をしようと思います
時は桶狭間今川義元織田信長の戦い
今川義元が敗れると義元の身内や家臣達は一斉に各地に逃げた
勿論殺された者は数知れず…
その中の誰かが義元の身に着けていた物を持ってこの地まで落ち延びてきたのだ!

さてはて 何を持って逃げてきたのかは わかってはいない
持って来てないのでは?とも言っていた💦
その後 義元の身内や家臣達は名前を今川から北川と早川と言う名に変えて後世まで生きてきたみたいである。

川と最後に付けてあるのがその証拠だそうです
今もその名の方は この近辺に沢山おられるそうです

当時は信長が義元の首実験を行なっているので義元の遺体を持ち出すなんて事は不可能である
だからこの塚に埋められたのは首でも胴でもない、それ以外となると短刀か 身につけていた何かであると考えられる
この場所に来て義元の塚を作った事は 残された者の思いがあるのでしょうね

お墓ですが 今は祠の中にありますが当時は鳥居⛩の建てられてる辺りに有ったとされており
場所を移して祀ったのだそうです
桶狭間合戦後、この周辺は織田信長の勢力下にあり堂々と義元の供養をする訳にはいかなかったので墓も今川義基墳と漢字を変えて刻まれました

塚のある場所は車一台がやっと通れる場所にあります アリの巣のように何方向かに入り組んでおり 探すのは大変である
当時家を密集させる事により塚を探しにくくして来たのではと今川組(笑)の人がおっしゃりました

法要は毎年行われているそうです

 

今日も読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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f:id:kaori3211:20200411074754j:imageこの中に塚があります
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f:id:kaori3211:20200411074759j:image今川組