戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

信長の妹 お市の生存説を巡る

場所は伊賀市下友田です

賤ヶ岳の戦いにて秀吉に負けた柴田勝家お市と共に自害をします
だが2人の遺体は見つかってはいない
実は落城の様子を宣教師のロイスフロイスのイエスズ会日本年報には面白い記載がある
即じ落城を覚悟した柴田勝家は落城に先立ち話の巧みな1人の老女を選び出し落城の後 勝家主徒の死に模様を敵方に語らせたというものだ
激しい攻防戦の果てに落城した直後 城主夫妻の死に様を女性が朗々として語ったなどという例が他にあっただろうか
なんのために勝家はそんなやらせを必要としたのか 落城にあたり何か謎が考えられはしないか
お市の前夫である浅井長政が小谷落城前に妻子を手放したことから見ても やはり勝家も 落城となると 子供3人も残してお市を死なせる訳にはいかないであろう
生と死のせめぎ合いの中で勝家とお市は苦しい決断をしたはずです

さてここからが本題です 実は お市には生存説があるのです
落城にあたり何人かが足羽川を船で渡り逃走したと話がある 下流三国町にある勝家ゆかりの寺 勝久寺で当時 北ノ庄から逃げて来た女達を救出したという話がある
そこに お市が居たというのだ その後 三国湊の豪商 森田家に匿われます 森田家は織田家の支援者で 織田家を財政面から支えた商人の1人でした
後に 森田家内の旧浅井家家臣の手引きで近江に移ります 更に浅井家の残党 浅井次郎左衛門の案内により伊賀の下友田に移り住み53歳で亡くなります
浅井次郎左衛門は お市の死後 荼毘にふされたお市の喉仏を保管し続けました その喉仏は現在伊賀市下友田の浄光寺にある浅井長政の供養塔に納められているという事です
浅井次郎左衛門は 後の名前を3度変え今は浅井から稲増に変わっています 浄光寺は一度燃えて新しく建てられておりますが 稲増家の菩提寺だそう

下友田は伊賀忍者の集落である 天正伊賀の乱は有名な話だ

畑と小さな山が幾つか転々と彼方此方にある 聞くと その山々は城跡が多い事がわかった 

説明に出てくる長政供養塔のある浄光寺に行く 無住職だったので どうしたものかと墓と御堂を行ったり来たりしていた所に村のオジさんが居たので話を聞く事にした
歴史好きなオジさんで お市の話も知っていた 色々教えてあげるからと家まで呼ばれてお茶までご馳走になることに(^^;;
先代の御住職 そして稲増家の人から代々お市が逃げて来た話は聞いており この村の人達は皆さん知っているようだ

伝承として話は残っている

浄光寺から東を見ると浅井次郎左衛門の稲増家がある今は誰も住んでおらず廃墟となっている 
建物には表までは行ってもいいけど中に獣が居るから入ってはダメだよと言われた 中に入るなと言われると中に入りたい衝動になったが 扉開かず…外から写真は撮ったけど
建物はあの時代の物ではないが かなり古い!
当時の稲増家は 実は浄光寺の南にある小山の所に有った それが稲増城である 堀や石積みは残ってるとの事なので お市は その稲増城に居た可能性は高い

そこに居る間にお市は長政の供養塔を作り それに毎日手を合わせていたのであろう そして自分が亡くなったら墓に一緒に入れて欲しいと次郎左衛門に遺言として残したのでしょうね

 

ただここに来てあれ?って思った事が有る 私が浄光寺で見た長政の供養塔はあまりにも墓が新しすぎるので近年立てられた可能性がある

なので調べてみたらこんな話があった 

お市の喉仏は 実は稲増屋敷に祠が有りそこに保管してあったと説があるではないか! 

もしかしたら長政の供養塔は その祠であって そこにお市の喉仏も一緒に祀られていたのかもしれません
稲増家は現在そこには居なく引越しをされてます 長政の供養塔とお市の喉仏を置いてはいけないので 浄光寺に長政の供養塔を立てお市の喉仏を一緒に埋めたと考えられます
稲増家に子供は居ないとの事で今後の事を考えての事でしょう
これは私の考えですが どれが本当なのかはわかりません

 

お市は勝家の事は愛していたかもしれない でも本当に心から愛していたのは長政だったのでしょう 同じ墓で 今は天国で仲良くやっているのでしょうね
死んであの世で… 浪漫です

 

さて この話を信じるか信じないかはあなた次第です

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

補足

稲増家は伊賀地方で活躍した土豪であり浅井治郎左衛門は伊賀忍術指南役でもありました
服部家の博物館に展示してある殆どの資料は稲増家から貸し出しているらしいのだ!結構すごいね!

 


f:id:kaori3211:20200201073056j:image浄光寺
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f:id:kaori3211:20200201073112j:image稲増屋敷跡廃墟感半端ない
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f:id:kaori3211:20200201073049j:image扉開かず
f:id:kaori3211:20200201073110j:image外から覗き見る
f:id:kaori3211:20200201073046j:imageあの山が稲増城
f:id:kaori3211:20200201073824j:image長政の供養塔 お市の喉仏が一緒に入っている 長政の戒名[徳勝寺殿天英宗清]と書いてありました