戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

木下藤吉郎(秀吉)の稲葉山城攻略戦! 鍋伏葬 斎藤義龍の首はここに?(不動閣)

場所は岐阜日野西です
岐阜城下東北の位置にある不動閣にて以前住職に話を聞いてきました
まずは藤吉郎についての説明です
信長様は天下統一の拠点とするため稲葉山城(今は岐阜城)攻略をもくろみました
信長様は稲葉山を包囲しましたが城の北は絶壁で長良川が流れ また東 西 南の三方も陣は堅固で難航不落でした
家臣の木下藤吉郎は川の向こうから城を眺め 城の背後に続く連山(日野西山)より峰づたいに 蜂須賀小六達と進行し攻略することを考え奇襲攻撃し開城させたと言い伝えられています
北は警備が薄いと見込んだとの事

『西山の 不動の洞をよじ登り 旗なびかせて 城攻略す』と言う歌が寺伝にあります
藤吉郎の功名となりました
東北の位置にあるが なぜ西山なのかと聞いたら 日野地区でも西にあるから西山と呼ぶのだそう

稲葉山城を攻略するのに この時この寺は焼き払われ砦が造られました
資料や文献 古文書もその時に全て焼けてしまったそうです残念!
今のご住職のお爺様が比叡山の僧侶で 夢のお告げにて この不動閣を再興させよと出て来たそうで ここに来て 夢と同じ風景に ここだ!と、思ったそうです それで今の不動閣は出来たのだそう 村の人に 藤吉郎の話を聞き そんな場所であったのか と、いう事で伝承となり 歌も受け継がれてきたそうな

 不動閣には池があるのですが 当時は3分の1の大きさで 池拡大の為に作業をしていたら 何か硬い物に当たり 掘ってみると 鍋伏葬 つまり 鍋が覆いかぶさるように頭部のお骨が出てきて その横には二本の刀も有ったそうです
泥土だったので ボロボロで保存状態は良くなかったとの事 ただ言えるのは上流階級の武将の首だという事だそうです
鍋伏葬は 戦国時代と江戸時代に行われていたそうで つまり魂が再生しないように敵方の武将の首に鍋を被せて封印する といった呪いの儀式みたいなものです
ここで出てきた首ですが 住職曰く 道三の息子義龍ではないのか、と、いう話で 義龍の最後は病気(ハンセン病?)で亡くなった と、だけ記されているが ハッキリと書かれてはいない
確かに義龍が父である道三を討ってその後 信長様との争いも続き 何度も稲葉山城を攻められてはいる
もしかしたら その時に亡くなって首を取られてる可能性は無きにしもあらずである 砦となった不動閣で首実検を行い その時鍋伏葬をした可能性も考えられる

実は昔 ハンセン病死者の葬法習俗に鍋を被せて埋葬するといった話を聞いた事がある

義龍はハンセン病だった

なんだか少し結びつく… 

信長は義龍が亡くなる事を知る以前から 美濃に攻め込む機会を伺っていた 義龍が死んだのがわかって直ぐに稲葉山を攻めて義龍の息子龍興を追い出しました

まるで義龍がいつ死ぬかを知っていたかのように…

ですが あくまでも推測
首と刀が出て来たのは確かである DNA鑑定が出来れば良いのだがと住職はおっしゃってました

鍋伏葬に使われた鍋と頭蓋骨 刀はこの不動閣に保存されております
鍋を見せていただきました 写真撮っていいと言われたので撮らせていただきました

さて、はたして義龍の首なのか!真実はいかに!

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

f:id:kaori3211:20200121212952j:image
f:id:kaori3211:20200121212959j:image不動閣
f:id:kaori3211:20200121212948j:image藤吉郎の説明書
f:id:kaori3211:20200121213014j:image本堂
f:id:kaori3211:20200121213004j:image鍋伏葬されていた池
f:id:kaori3211:20200121213007j:image真ん中にある灯篭あたりに祠がありそこに何か書かれたモノがあったのだが それも焼けてしまったそうです
f:id:kaori3211:20200121213018j:image
f:id:kaori3211:20200121212956j:imageこのお地蔵様は お経を唱えるといつも無数の足音が聞こえてきて 夢で「わしら下級武士は葬られる事もされん無念である どうか祀って欲しい、そうすれば ここを守ろう」と、お告げがあり お地蔵が建てられたそうです
f:id:kaori3211:20200121213011j:image
f:id:kaori3211:20200121212945j:image鍋伏葬の鍋です