戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

岐阜城 柴田勝家の屋敷跡

場所は岐阜日野達目洞です

岐阜城麓の信長の家臣屋敷といえば西の城下町にあったのですが
実は西だけでなく岐阜城の東の麓 達目洞に柴田勝家古屋敷と その家臣団の家屋があったのです

信長公記を書いた太田牛一による自筆として「内府公軍記」と「太田和泉守記」にも記されています
岐阜城攻めに参戦した京極高知の軍勢に関し「荒神洞柴田修理亮古屋敷より搦手之口だちぼくへあかり」(内府公軍記)
荒神洞柴田修理亮古屋敷達目(だちもく)口を攻上り」(太田和泉守記)と記載がある
このように「荒神洞」と呼ばれた地に柴田勝家の古屋敷があり そこを通過して金華山東側の達目洞を攻め上がったことが分かる
京極家の京極家譜では からめ手(裏門)から「荒神洞」を経由して本丸一番乗りを果たしたことになっている
両文献と京極家譜を総合すると柴田勝家の屋敷は岐阜城麓東側にあったことが伺えます

 

江戸期に入ると止心流の居合武術の達人である臼井岩入が山守りとして そこに住み その後今もなお その末裔の方が住んでいらっしゃいます

 

私はここから岐阜城によぬ攻め登るのだけど、中々登りがいあります!

そして柴田勝家が居たかと思うだけで想い馳せれます(笑)



読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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f:id:kaori3211:20200123074201j:image大体この辺りに有ったと思われます