戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

明智光秀伝説 揖斐編

場所は岐阜揖斐桂です

明智光秀の伝説は美濃の色々な場所に話が残っていて中々面白いです
ここ揖斐では光秀の大河ドラマにあやかって光秀伝説なる話が出てきました
元々揖斐には揖斐城があるので 初代揖斐氏の兄が明智の祖である事から 揖斐氏と明智氏との関わりはあり 光秀自身も 行き来していた事は間違いはないと思われる

(初代揖斐氏が実は私の御先祖の土岐頼雄で後に揖斐頼雄になる)
揖斐城の北麓には大きな"重ね岩"があり こんな伝説が残されています
光秀が巨岩"重ね岩"を動かした怪力の若者をたしなめて岩を元に戻させ主従関係となったとされる
重ね岩を見てきたが かなりの大きさである 確かに人工的に重ねた岩に見える あの時代で あれだけの大きな岩を持ち上げる者が居たのかはわからないが伝説としては残っている

そして その重ね岩をから少し東北に向かうと桂八幡神社がある ここで光秀の霊を祭ったとされる
太田好信さんが所有する1932年に作成された桂八幡神社の調査書には1556(弘治2)年に光秀が山岸氏に身を寄せた際 神刀を神社に献上したと記され刀の絵も付けられているというのだ
八幡神社に行ってみた 何かわかる物は何も残ってはいない 伝説はある

今話に出てきた 山岸氏であるが 光秀の父の弟が 根尾の長嶺城の山岸氏の養子になりました 名は山岸光貞と言います この長嶺城は光秀の母の実家であります
山岸光貞と女との間に千草と言われる娘が産まれており 光秀の従妹で後に光秀の妻となるのでありました
千草は病気にて早くに亡くなってしまいます
光秀と千草の間に産まれたのが光重で 千草が亡くなってからは母方の山岸氏に育てられ山岸家を継いで 後に光秀の家臣となりました
この話は 光秀の妻である煕子の前の話であります

(千草という名前は定かではありません)

後に山岸氏は 根尾から谷汲に移っています 谷汲から揖斐の桂に抜ける道があります

こんな感じで 今わかる事はこれくらいです まだまだ色々調べてみたいところです

 

真実は如何に!

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

f:id:kaori3211:20200203191516j:image重ね岩
f:id:kaori3211:20200203191504j:image八幡神社
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