戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

長宗我部盛親元親の正室 石谷氏(石谷城跡)

場所は岐阜石谷地区です

ここは明智光秀、長曾我部元親と石谷氏の関わりある場所であります
石谷氏の本が出版されたのを機に調べにかかった
そして石谷地区偵察である
石谷氏の居た石谷城は 今は八幡神社になっていた
ここで大事なのは なぜ石谷氏が明智光秀と長曾我部元親と関わりがあるか?って事である
少し説明をしよう
石谷地区には長宗我部元親の妻の実家がある それが石谷氏なのだ
元を辿るとこんな話しである
石谷氏には家督を継ぐ男子が居ませんでした なので養子をもらう事になりました
その養子に入ったのが明智光秀重臣である斎藤利三の兄である
長曾我部元親は美濃の女を嫁に娶りたいと言い 石谷氏の女子を嫁に娶りました 
長曾我部元親の父国親も美濃の女を嫁に貰っています きっと元親の母が素晴らしい人だったのでしょう
元親の息子信親も養子になった斎藤利三の兄と女との間に産まれた娘を嫁に貰っています

(信親と利三兄は戸次川の戦いにて戦死)

この関係からして 長曾我部氏と石谷明智光秀との関係が深い繋がりである事がわかります
織田信長と長曾我部元親とのやり取りは 斎藤利三と その兄が明智光秀に支持されて交渉していたのであろうと思われます

本能寺の変後 土佐の長曽我部を斎藤利三の娘福(春日局)が頼って逃げ匿われていた事もここで納得します


しかし長曾我部家は三代に渡り美濃から嫁を娶っておるとは これは凄い事です

 

今も石谷さんはこの地区にいらっしゃいます

大河が始まったので 石谷氏も少しは取り上げてほしいものである…

 

読んで頂きまして有難うございます😊

 

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f:id:kaori3211:20200202074852j:image石谷城のあった八幡神社
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