戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

飯富虎昌・山県昌墓所 天澤寺

場所は山梨県甲斐です

武田24将の一人!猛将と言われた男 赤備えで有名な山県昌景と昌景の兄である飯富虎昌のお墓があるのを知り手を合わせに山梨県甲斐市亀沢まで行ってきました
山里離れた集落の小高い山の中腹にそのお寺はあります
虎昌と昌景の お墓の場所を聞きたくて ご住職宅に声をかけ 出て来てくてさったのが ご住職の奥様でした
住職は忙しくバタバタされていたので 奥様が代わりに案内をしてくれました
本堂から少し上がった裏手に虎昌と昌景のお墓はあります
とても面白く話好きな奥様で 歴史にも詳しく 色々と教えて頂きました
お墓の有った場所は元 竹藪が有って そこに隠れたように お墓が有ったとの事です その竹藪を切り 今の状態に整備したそうです

お墓の両サイドは 虎昌と昌景で 中心にある お墓は 父の源四郎であると言われております

このお寺一度焼けており 文献が残りませんでした
でも お墓と位牌は残されているので ずっとこのお寺で守られてきました
先代の住職から代々話が受け継がれてきた事で 今に至っております
今の住職が一生懸命に働きかけて文化財にも指定されました

山県昌景の山県の名は美濃の山県氏が武田を頼り移り住んだと言われ その名を受け継いでいるので 美濃女の私には とても親近感がわく武将であります

美濃の山県氏は元土岐氏なので昌景は桔梗紋であります

お墓も お位牌も 写真を撮って良いですよ、と言われたので 撮らせていただきました
お位牌については 奥の院まで入れていただき 拝ましてもらいました

ご飯まで食べさせていただき😅1時間話を色々と聞く事が出来てとても良かったです
ご住職さんと 奥様に感謝です

・お寺の説明
天澤寺は武田家譜代 飯富兵部少輔虎昌の招きで鷹岳宗俊和尚が開山したのが始まりと伝えられています
山県昌景が中興し武田家の庇護のもと繁栄しました 武田家滅亡後も徳川家から寺領18貫文が寄進され庇護されていったそうです
参考資料より

山梨まで足を運んだかいありました!

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

2018 年11月撮影

f:id:kaori3211:20200204190025j:image

f:id:kaori3211:20200204190046j:image天澤寺
f:id:kaori3211:20200204190059j:image
f:id:kaori3211:20200204190103j:image
f:id:kaori3211:20200204190050j:image左から昌景、源四郎、虎昌です
f:id:kaori3211:20200204190039j:image
f:id:kaori3211:20200204190042j:image
f:id:kaori3211:20200204190107j:image
f:id:kaori3211:20200204190055j:image昌景と虎昌2人のお位牌です。当時のものです