戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

斎藤義龍の息子 斎藤龍興の菩提寺(願教寺)

場所は 岐阜羽島足近です

龍興と言えば 斎藤義龍の息子であり道三の孫であります 道三と義龍は血が繋がっていないと話にもあるので道三の血を龍興が受け継いでいるのかはわからない
ま、そんな話はさておき 義龍亡き後龍興が斎藤家の家督を継ぎ稲葉山城主となる 信長美濃侵略の為に信長と争うが 最終的に信長に稲葉山城を落とされ 龍興は船で川を下り長島に入り込み亡命したのである
龍興を追った信長は長島を攻めいったのであります
その後長島に亡命した龍興は長島一向一揆に長井道利と共に参加し信長に対する抵抗活動は継続します
その時出会ったのが 長島の願教寺の了願(本願寺門徒)である
(了願については 後々話す事にします)
龍興は その後 縁戚関係にあったことから朝倉義景のもとへ逃れ保護されます
義景が信長と対決するために出陣した際に従軍したが朝倉軍が織田軍に敗れて福井県の刀根坂で追撃を受けた際戦死しました(刀根坂の戦い)ここで龍興は亡くなってしまいます…ここには龍興のお墓あります
が!この先にまだ話しがあるのです!影武者説である
実は龍興は自分の家臣に自身の甲冑を纏わせ 龍興は落ち延びたとの話があるのです その落ち延びた場所は富山県で そこで出家をしたそうです
富山興国寺に伝わる話であります
お墓も富山にあります

ですが 再起を図る事をずっと願っていた龍興が 美濃に戻らない訳が無い!と私は思ったので調べてみたら 羽島の足近に落ち延びた説がありました
願教寺の御住職と影武者説を話ていて刀根坂の戦いで龍興は生き伸びており石山に来て 雑兵に混じり石山合戦で信長と戦ったとの話で その時再び長島一向一揆で出会った了願と再会をしました 二人は好を結んだのです
信長と本願寺が和睦した後に龍興と了願は羽島足近の中島まで来て名前を変えて移り住みました そこで再起を図ろうと機会を待つが 再起叶わず龍興が天正十年五月五日に自刃してしまいました…
(本当の死因は結核で病死だそう)
当時 佐波村(岐阜柳津)に本養寺と言われる荒廃寺があったので (源平合戦の時の霊を弔う為に建てた寺) そこに元長島に有った了願の寺 である願教寺を建て ひっそりと龍興の亡骸を葬って 信長に見つからぬようにしたのだそう
その時 龍興の塚には一本松が有ったそうですか 今は分からず…
大正時代に羽島の足近に寺を移しそこに龍興のお遺骨とお墓 源平合戦で亡くなられた方の五輪塔を移したのだそうです
龍興のお遺骨は 寺内にある波阿弥陀仏の石碑の下に埋め お墓はお堂の中にしまってあります

お墓を見せてもらいました とても小さく 30センチ?くらいでしょうか ご住職曰く 「あの当時のお墓はこのくらい小さな物だったのですよ」と、言われました
戦国の世において 敵の目をはばかる為とも言われました
お墓の表には龍興の亡くなった日【五月五日 龍興】と、掘ってあり 裏には【天正十年】と掘ってあります
龍興と書いてある名前の龍の所を見て頂きますと 実は龍の文字が🐉の絵なのです おわかりでしょうか?
龍興→🐉興なんです!
これは凄い‼️

そして お位牌は 後世に子孫の方が作られたそうで 江戸時代に作られたと言われました
右から 義龍 龍興 義仁(龍興の息子)です
道三の位牌が無いのは やはり血の繋がりが無かったからではないかとご住職は言われました

私は ここに龍興の本物の骨が埋まってるのだと 思わざるえないと思いました
信長の亡くなったのが天正十年六月二日
龍興の亡くなったのが天正十年五月五日 信長が亡くなる1ヶ月前
龍興がもう少し生きていたら…

系図もあるのですが なんせボロボロなので と、言われました

補足です 刀根坂の戦いで実は織田方に龍興に手を貸した者が居たのだとか、それは不破氏である 不破と言えば織田方であったが その前は龍興に仕えておりました
山内一豊の妻 千代の母の姉は不破に嫁いでおり 千代の両親が亡くなってから 千代は不破に幼女に入ります
そして 敵方の織田方に居る山内一豊と千代が結婚した事で不破は織田方についたのです…さてはて

ちなみにご住職の名前は長島さん 長島了願が祖になります^_^

歴史は ここにあり!

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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f:id:kaori3211:20200124073959j:image願教寺本堂
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f:id:kaori3211:20200124073953j:image右から 義龍 龍興 龍興息子の義仁
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f:id:kaori3211:20200124073932j:image龍興の御墓表
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f:id:kaori3211:20200124073947j:image表の文字は龍興 龍の文字が龍の絵🐉になっており🐉興となってます
f:id:kaori3211:20200124074008j:image裏の文字 天正十年五月五日
f:id:kaori3211:20200124073935j:imageここに龍興のお遺骨が埋められています
f:id:kaori3211:20200124073949j:image源平合戦の時の五輪塔
f:id:kaori3211:20200124074003j:image本養寺跡地 今は跡形もない