戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

➖石田三成を巡る➖関ヶ原逃走劇 匿われてた三成

場所は滋賀県長浜市谷口です

今回三成を巡るにあたってだが ある本に書いてあった 三成が匿われていた場所について 自分なりに足跡を辿ってみたくなりました
滋賀県長浜市北野に歴史資料館【五先賢の館】があり 三成の本を見て数年前に「三成再起の6日間」といわれる展示会が企画されてやっていたのを知りました まずそこで情報を聞き取りしようと思い行ってみた
この五先賢の館の東前の道を真っ直ぐに道なりに北へ向かってくと 匿われていた場所の谷口と古橋に出るのだ 辿るとしては一石二鳥である
資料館に入って直ぐにスタッフの方に 「以前ココで三成の事をやっていたと思われるのですが 」と、本を見せて聞いたら「知ってますよ! その企画の時に展示物をお借りした石田さんに良かったら電話して会ってもらえるように聞いてあげましょう」と、とんとん拍子に話が進み 石田さんに会う事となった 資料館はその後見に来ますと言って資料館を後にし石田さんの居る浅井町谷口の集落に向かった
普段は忙しい石田さんですが この日は偶然にも予定が空いてたの事でラッキーです
石田さんに会って まずは車で誘導されてある場所に向かった そこは杉林の中だ そこに神社がある⛩ 神社の名は"石田神社⛩"である 小さな祠が有り中には三成の五輪塔があります
ここの場所は 元屋敷と呼ばれる場所で 逃げて来た三成を匿ったという庄屋があった所だ その庄屋が石田さんのご先祖にあたるのだ
明治まで この場所に屋敷は有ったのだが 大洪水の為今は南に住民は移ったのだそう

15日関ヶ原を出た三成は16日夜に谷口の庄屋宅に辿り着き翌17日はそこでゆっくりと過ごしたのではなかろうか と、いっても 普通に居てはいつ敵が現れるのかはわからないから床下に居たのだそう
三成は自分を匿ってくれた御礼にと刀と短刀を置いていかれ 石田の姓と鳩八の家紋を与えられました
短刀と刀は第二次大戦中に無くなってしまったようで 多分出されてしまったのかも と、言われた残念な話です
石田さんの家にも上がらせてもらい 鳩八の家紋の付いた袴と 神社に付けていた提灯を見せてもらいました
鳩八の家紋は大一大吉大万 下がり藤と共に三成が用いた家紋です

石田さんに文書として残った物はありますか?と聞いたら 「洪水で流されてしまったんだよね だから今はご先祖様からの言い伝えとして残ってるだけです」と、言われました
谷口の集落では この伝承は受け継がれております

三成のイメージは悪いイメージで書かれたりしていますが
三成 本当は民を思い民に愛された人でした 守られながら逃げて来た事が ここに来るとわかります

谷口から五先賢の館に戻り館長さんと喋って 石田さんの家宝は中々見せてもらえない物なのだそう 館長さんに「ついてたね」言われました

話は続く

読んでいただきましてありがとうございます😊

f:id:kaori3211:20200113105816j:image

f:id:kaori3211:20200113105919j:image石田神社
f:id:kaori3211:20200113105922j:image
f:id:kaori3211:20200113105926j:image
f:id:kaori3211:20200113105916j:image
f:id:kaori3211:20200113105911j:image鶴八の家紋