戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

前田屋敷跡 前田慶次(慶次郎)

場所は岐阜県養老町祖父江です
1600年 石田三成による関ヶ原の戦いとなると直江兼続と一緒に従軍して最上勢や伊達勢を相手に前田慶次は見事な戦いをしたと言われる
ここ祖父江には慶次が一時期住んでいたという伝承があるのだ
関ヶ原合戦後家康の残党狩りを逃れて慶次が上杉家に仕えるため関東に行く途中 島左近の娘であるみつとの子 吉兵衛を祖父江の庄屋川瀬彦兵衛に預けました
川瀬彦兵衛は島左近の領地 近江の川瀬村の出身である そして石田三成の家臣でもある
慶次より息子の吉兵衛を託され祖父江に隠れ住んだというのだ

それをさぐりに訪れたのだが やはり前田屋敷跡はあった
ハッキリと話しを聞くために近所の人を探す 発見!おじいさんおりました(笑)
では早速 前田の碑について聞いてみると!何と!この碑を建てた人物の1人であった事が判明!碑が建てられたのは今から40年も前 当時高木一族(おじいさんも高木さん)で 前田慶次の伝承があるとの事で色々調べたらしい そしたら古文書が出てきて この伝承は本当であった事がわかり ここに建てたとの事です
屋敷の有った場所は この碑が建っていた場所より もう少し南に有ったとの事 そして 前田橋という木で出来た橋が当時はあり それは今は取り壊されて亡くなってしまい川も埋め立てられてしまったとの事でした
慶次の息子の吉兵衛は晩年までここに住んでいたと言う事です
もちろん 吉兵衛の墓も この碑の所にあります 当時は北にある川瀬家の墓の場所に有ったのですが この碑の場所に移されました
川瀬一族も今だにここに住んでます
40年前建てた時に関わった人達は 亡くなってしまい このおじいさんだけが残りました
この先 若い人達に この前田の碑が どう受け継がれて行くのか心配をされていました
当時の古文書のコピーを持ってると言う事で見せていただきました
貴重な物です ありがとうございます

碑の裏に書かれている事です
『吾等の祖は前田氏なり 加賀大納言前田利家の甥慶次郎利太の子吉兵衛利治 関ヶ原役に破れ江州川瀬村彦兵衛と共に此地に遁れ移り住む
爾来子孫代々此地に有り治水開田に尽したり
明治維新 姓を高木に改め又無藤 長澤 他田を名乗る人も有り現今に到る
昭和五十年一月 一族相図り相互の親睦と将来の発展を期して鷹の羽会結成す 史実を後世に残さんが為に此碑を建つ』

どうか この前田家の話はこの先も受け継がれていきますように そう願います

しかし 前田慶次 謎多き男にござる

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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f:id:kaori3211:20200215074958j:image慶次の息子 吉兵衛の墓
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f:id:kaori3211:20200215075006j:image話を聞かせてくれた、おじいちゃん