戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

大谷吉継 もう一つの首塚

大谷吉継首塚滋賀県米原にありますが、実は もう一つあるのです

場所は、関ヶ原から北に向かうと明神の森の看板があり、そこから山に入って行くと、 岐阜揖斐春日村の古屋まで抜ける旧道があります。 その峠を越える途中に吉継の首塚はあります。

とてもわかりにくいので見つけにくいです…

この峠は、小西行長宇喜多秀家、多くの西軍部隊が逃げ走った場所です。

 

湯浅五助が吉継の首を埋めるまでの経緯を話しますと。西軍の敗北を知った大谷吉継は「病み崩れた醜い顔を敵に晒すな」と家臣の湯浅五助介錯にて自刃しました。

五助は吉継の首を持ち去り逃げます。そして首を埋める事にしました。

その後五助は藤堂高虎の配下 藤堂高刑に捕縛されます その時言った五助の言葉は、主君の命を忠実に守る為「私の首の代わりに、大谷吉継の首をここに埋めたことを秘して欲しい」と頼みます。それを聞いて藤堂高刑は、その頼みを受け入れ五助の首を取ったとされています。

 

泣ける話です

 

米原か 春日村か 逃げた場所は どちらなのか!

春日村に逃げる人の中に五助も混じっていた可能性はあります。

古屋に住む人は、この墓を「吉継さん」と呼んでます

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f:id:kaori3211:20200113074627j:image大谷吉継首塚です
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