戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

"竹中重門 お勝ちうどん"浄休寺

場所は大垣垂井です

竹中重門と言えば名軍師である竹中半兵衛の息子ですね。
そんな重門の物語をお話ししましょう。
関ヶ原合戦に向かう竹中重門一行は途中休憩を垂井の浄休寺にて取りました。合戦の前日の事である。
重門は本堂へと上がり、大勢の家来達は境内にズラリと並んで腰を降ろしました。
皆、明日の戦の前で気が張っていました。重門の運命も、家来達の運命も明日は全くわからない。
村の人達は、重門や家来達に、うどんを作ってさしあげました。腕によりをかけ心から接待をしました。
「こりゃ、うまい!何とうまいうどんじゃ!」と、言い重門は何杯もおかわりしました。家来達も次々とお碗を差し出します。
「もう一杯くだされ。これで腹ごしらえが出来もうした。」
「もう食べ物に悔いはござらん。明日は全力を上げて戦うだけじゃ。」
家来達は村人達の温かい心を受け止め、元気を取り戻していた。
重門はそれを見て浄休寺の坊さまに言った。「みんなこの温かくて、太くて、長いうどんのおかげで明日は存分に働けそうじゃ、熱く礼を言うぞ!ところで、このうどんの名は何というか?」
「はい、ありがとうございます、これはお勝ちうどんでございます。」と村人はいいました。
「なに!お勝ちうどんとは縁起が良い、何か言われはあるのか?」と、重門が聞きます
「はい、太くて長いうどんは、殿様はじめ皆様方のご武運が、太く長く続きますようにと作りました。温かいところは、領民の殿様を思う心でごぜえます。」と、村人
「おお!よしよし、でかしたぞ、よく言うてくれた。」重門はたいそう喜び、すたすたとお御堂の縁に立ち上がり、うどんをすする家来達に大きな声で言いました。
「皆のもの、よく聞け!これはお勝ちうどんというものじゃ!明日の戦は勝つと決まったぞ!」
どっと家来達の歓声が上がった、みんなの顔がいっそう明るくなりました。
翌日、重門の軍勢の働きはめざましかった。重門の軍は石田三成の本陣に攻め入った。そして、ついに東軍の勝ちとなりました。
重門は胸を張って領地の岩手(垂井)に帰って来た。その帰りに浄休寺に立ち寄る事を忘れませんでした。
村人はみんなで出迎えます。
「お勝ちうどんのおかげで勝てたぞ。これからは平和の世になる。領民みんなが太くて長く生きれるように、うどんの名を長寿うどんと呼ぼうぞ。」と重門はそう言って浄休寺の坊さまに竹中という苗字を与えました。それからというと、浄休寺の報恩講には長寿うどんが出る事になりました。

めでたしめでたし

長寿うどんですが、明治まで村人から竹中家に献上されていたそうです。

と、いうわけで浄休寺に行ってきました!
この話は何かに書かれていたのかもしれませんが、今は残ってないそうです。浄休寺の口伝としては残っています。
今では無くなってしまった長寿うどんを、復活させるべく行事があると振る舞うそうです。是非とも店を誰か出してほしい!

読んでいただきまして、ありがとうございます😊

f:id:kaori3211:20200115233600j:image浄休寺

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f:id:kaori3211:20200115233619j:image浄休寺の西側の道は関ヶ原に抜けます ここを重門勢は通って行ったのでしょうね