戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

信長様の敵一倍観音 瑞應寺

場所は岐阜の笠松です

今から四百年程前 織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時の事です
ある1人の家来が信長の守り本尊であった観音様を背負い野中(岐南町)まで落ち延びてきました その人はこの地に根づき百姓になって暮らす事を決め 畠の中に御堂を建てて大事に持ってきた観音様を祭りました
この御堂を洲崎観音堂と呼びました (昔は野中の事を洲崎と言いました)
その頃野中にはお宮が無かったので 村人達はお嫁さんを貰っても 子供が産まれても 何があっても その観音様にお詣りに行ったものだそうです 其の後観音様は野中の正伝寺に移されました
この観音畠は野中の南東の方にありました 昭和になり耕作をしているおじいさんが 観音堂の有った辺りをほったら紋の入った瓦が沢山出てきたそうです
正伝寺は 伊勢湾台風で倒壊しそのまま廃寺になってしまいます
そして その観音像は笠松にある《瑞應寺》に奉られる事となりました
信長の観音像は"敵一倍観音(てきいちばいかんのん)"と、呼ばれます
元亀年間に信長が京都で見つけ持ち帰り陣中で一心に信仰してから戦に出ると 敵に勝った事から敵一倍観音と呼び 信長は守り本尊としました
一倍とは古語で 現在は二倍を指します 人より更に頑張るという意味で「人一倍頑張る」という言葉が今も残っている

信長様の家来であったその人の名前は正伝寺の過去帳に書いてあるはずなのだが 今はわからず…

瑞應寺に行き 信長の観音様を見せていただきました
文化財なので撮影は出来ません
皆さまにお見せ出来ないのは残念です
穏やかな顔をした観音様を見ていると 信長は今穏やかに眠っているのだと思えてきました

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

※注 拝観されたい方は前もって御寺にお電話してくださいね

f:id:kaori3211:20200208074537j:image瑞應寺
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