前回は島津適中突破のお話をしましたが 今回はその先の島津義弘の敗走ルートを追いました!
関ケ原の合戦にて上石津で島津豊久 長寿院盛淳等多くの家臣を亡くしてしまいます 我が身を犠牲にしてまで 義弘を守ってくれた家臣達を背に岐阜上石津から滋賀の多賀までのルートを敗走します
私が向かって行ったのは 豊久のお墓がある場所を南に向かうと右に多賀まで抜ける国道139号がある その道を右に曲がり道なりに西に向かうと 義弘が通った五僧峠がある この五僧峠を「五僧越え」「島津越え」と言います
時山から五僧峠を越えてからは五僧、保月、杉といった多賀町の旧脇ヶ畑村の3集落を通ります
向かったのはいいが 五僧峠に入る手前で足止めを食らった!ここまで来て後には引けない こうなったら多賀まで行き逆方向から向かうしかないと車を走らせた
諦めない気持ちが大事です(笑)
多賀まで 他のルートで峠を越え 多賀町から上石津に抜けるルートに入る ほぼ人も普段通る事のない旧道なので 荒れてるのは仕方ない 峠入口に集落があり おばちゃんが居て 不思議そうにこちらを見ていた^_^; ま、女1人で入って行くのは 変だと思われても仕方ない 最近はそんな目にも慣れました(笑)
さ、緊張しながら車を走らせる 落石による石が彼方此方に落ちてるのでパンクさせたら帰れなくなる 慎重に走らせる 本来なら最後に見たかった薩摩杉を最初に見る事となったが 見れただけ良かった! この薩摩杉は関ケ原後に薩摩の島津から お礼にと送られてきた杉を植えたもので 樹齢400年だそうです あの時にこの辺りの村人が義弘を匿うようにして休ませたのでしょうね
薩摩杉を通りすぎ五僧峠に向かう その途中に村はあるが 人1人住んではいない 廃村!と、まではいかないが たまに村人が夏に戻ってきたりしてるそうな でも 半分以上の家は崩れてました
いくら道が悪いとは言え 昔は こんなコンクリートのような道ではないので 相当大変だっただろうと思われる よくぞ逃げ切り薩摩に戻る事が出来ましたね! これも亡くなった家臣達のおかげです 薩摩魂!見せていただきました‼︎
諦めない気持ちが大事だという事で 私も薩摩魂にあやかって行動してみました(笑)
読んで頂きまして有難う御座います😊
島津義弘
島津越えの看板
通行止めをくらう💦
多賀の方から入って行く
薩摩杉!島津家から御礼にと送られてきた杉です
落石💦
廃村です
何処にでもある看板ですな🐻
五僧峠の看板
五僧峠!