戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

関ヶ原逃走劇 島津豊久編"➖敵中突破!

関ヶ原から上石津までの島津豊久の足跡を追ってきました こうして足跡を辿ると 壮絶だった事が伺えます
関ヶ原西軍として島津豊久は叔父の島津義弘に加わりました
島津隊少数の中 島津の戦略で応戦するが 小早川秀秋が寝返り 西軍総崩れの状態となります 島津隊の味方も次々と倒れ戦力を失なってしまいます 島津義弘は ここ 関ヶ原で華々しく討ち死にする事を覚悟します 豊久は 義弘に言います「叔父上が薩摩に帰らねば誰が島津家を支えるのですか!」そう、豊久はこの時 義弘を逃す事を決めました
豊久は覚悟しました ここで最後を迎えるかもしれぬ!それでも全力で戦おうぞ!と…

ここからは 世に名高い「的中突破」です 家康の本陣をかすめ 進むにも東軍の攻撃は激しく 追撃を食い止めるために豊久と阿多盛淳らは[捨て奸]で戦います しんがりを務めた豊久は鳥頭坂で傷つきます そんな状態でも 東軍の井伊直政 福島正則らの追っては迫ってくる そして 勝地峠まで来ると 豊久等は最後の捨て奸を行い 追撃する井伊直政の狙い撃ちに成功します
その後東軍の追撃はよくやく中止となりました
重症を負った豊久は雑兵の助けを借りながら勝地峠を越え 上石津の多良まで来ると 豊久は家臣に言いました「自分はもう力尽きた、お前たちは当主を守って薩摩へ帰れ!」と
その時 瑠璃光寺にて豊久は怪我の治療をするのだが もう自分の命に終わりが来てるのを悟り瑠璃光寺の近くにある白拍子谷で凄絶な自刃をするのでありました

これが豊久の最後です

豊久に助けられ義弘は薩摩に帰る事が出来ました 島津家は守られたのです なんとも泣けます
今でも薩摩と ここ多良の人は交流があるそうです 豊久の命日には向こうから来られるそうです

🦋鳥頭坂
最初の捨て奸をした場所 豊久傷を負います

🦋勝地峠
最後の捨て奸の場所 井伊直政を狙撃します

🦋瑠璃光寺
豊久の墓所です 位牌もあります

🦋白拍子
ごめんなさい 写真はとても撮れませんでしたT^T

上石津に郷土資料館があるので そこに島津豊久の事が展示してあります

 

細かい話は 次号にご期待ください

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

f:id:kaori3211:20200114103412j:image上石津郷土資料館で冊子は買いました

f:id:kaori3211:20200114103528j:image馬頭坂
f:id:kaori3211:20200114103456j:image
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f:id:kaori3211:20200114103431j:image勝地峠
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f:id:kaori3211:20200114103513j:image瑠璃光寺
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f:id:kaori3211:20200114103436j:image島津豊久公の御墓です