場所は岐阜富加町です
この日は富加にある2つのお寺に行きました
一番最初に向かったのは"龍福寺"である 恒興と元助の葬儀が行われたお寺です
ここには池田恒興の遺品が残されている 御住職に頼んで遺品を見せてもらいました
アポも取って無く突撃訪問だったが快く中へ通していただく 奥には宝物殿があります 池田恒興の遺品は鞍、鐙、轡、槍(富加町指定重要文化財)です とても貴重な物を見せてもらい感極まりです
龍福寺の御住職に色々とお話しを聞き御礼をいい 2つ目のお寺"齢峰寺"に向かった ここに恒興と元助が眠っている…
本題に入る
龍福寺に帰依していた池田恒興は織田信秀に仕えていた常利を父とし信長の乳母を母としていました
織田信長が明智光秀の謀反により自害した後 織田家の後継者争いに端を発して徳川家康軍と豊臣秀吉軍とに分かれます(小牧長久手の戦い) 秀吉に属した池田恒興 長男元助 娘婿の森長可は長久手の激戦の末に亡くなります
戦の直後に日比野美濃守が率いる加治田の軍勢が恒興親子と重臣の10遺体を引き取り龍福寺に収めました 葬儀の後 大山の齢峰寺に埋葬したのです
葬儀もしっかりと行われたんだね良かった😢
齢峰寺には2つの無縫塔があり これが池田恒興 元助父子のものと伝承があります
この無縫塔2基は岐阜県指定重要文化財となっています
あ…齢峰寺は今は廃寺です…
読んで頂きまして有難う御座います😊
※撮影許可はとってます
龍福寺
恒興の遺品
恒興の遺品
奥にあるのが恒興の槍
齢峰寺
恒興と元助の御墓