戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

諏訪湖に眠る武田信玄伝説

 諏訪湖に信玄が眠ってると言われる伝説について聞き取り調査をしてきました

甲陽軍鑑に記載されている武田信玄が死去する直前に残した遺言は下記の通りになっている
信玄は5年以上前から自分の病気が重大であると認識していたとの事

その中の遺言の一つに
「それがしとぶらひは無用にして諏訪の海へ具足を着せて今より三年目の亥の四月十日に沈め候」とある
(自分の葬儀は無用である 遺体はいまから三年後の亥年四月十二日に諏訪湖へ甲胃を着せて沈めてもらいたい)

信玄は 自分が死んだら諏訪湖に眠るつもりだった事がわかる

実際 昔テレビ局が 信玄の諏訪湖説を特集でやって 諏訪湖では大騒ぎとなっていたそう
昭和61年 国土地理院のソナーによる湖底地形調査では湖底に一辺が25mとされる菱形の“物体”が発見された これが信玄の水中墓ではないかとされ信州大学、読売新聞、日本テレビなど複数の団体が10数年にわたって調査を行った 電磁波探知機により墓標のような立体が確認されたとも報道されたが、最終的には謎の菱形は湖底の窪地の影であるとの結論が出された しかし問題の菱形が自然にできたとは思えない程はっきりとした形をしており湖底は泥が深く目視による実地調査が困難であることから水中墓説を支持する声は多いと言われてます

諏訪湖博物館に行き その事について聞いたが あくまで伝説であると言われた 勿論そうだろう 実際に出てきた訳ではないのだから
諏訪湖の図書館に行き 諏訪市史と 信玄に関する本を読み調べた
「諏訪のでんせつ」の本の中にはその物語が描かれていた とても面白くとても切なくて良かった

諏訪に住む昔からの人達 そして現代の人に言い伝えが残ってる事が真実である 何が本当か嘘かは 今現在ではわからないのが歴史である

実は甲陽軍鑑には その先の話があって遺言は守られたのか?というと
「御遺言の如く仕り候へども家老衆談合のうえ諏方の海へ沈め申す事ばかり仕らず」とある
(ご家中の人びとは遺言のとおりに取り計らったが遺体を諏訪湖にお沈めする事だけは家老たちの相談によって取りやめ三年後の四月十二日、長篠合戦の一月前に七仏薬師法による御葬を営んだ)
信玄の遺言とは逆に葬儀は行われてたんですね
家臣の気持ちを思へば当然ですが

私の最終的な結論は
確かに葬儀が行われ火葬はされたかもしれない
きっと諏訪湖に沈められたのは 信玄の纏っていた甲冑と刀 遺髪なのかもしれない
全くもって 信玄の遺言を無視はできるのか? せめて身につけた物だけでも遺言通りにしよう と、私が信玄の家臣であればそうするであろう
あくまで私の想像です

浪漫です

 

この日はビックリするような出来事が!

まさかの!信玄の諏訪法性の兜と御対面する事となった なんともラッキーで興奮の1日となりました

 

今日も読んで頂きまして有難う御座います😊

 

2019年3月撮影

 

 

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f:id:kaori3211:20200212075645j:image諏訪法性の兜 非公開なのでお見せ出来ないのが残念