戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

藤堂高虎の出生地

場所は 近江犬上郡甲良町在士です

当時は藤堂村と呼ばれてました
高虎の父は三井虎高で 母は藤堂忠高の娘・おとらである 名前を見る限り 虎に因んだ名前ですね(笑)
父の三井虎高は若くして近江から甲斐の武田信虎の家臣となり「虎」の字を賜るほどの有能な武将であったが 他の家臣に嫉妬され武田家を離れると近江犬上郡藤堂村に戻り藤堂忠高の娘と結婚して養子に入りました
そして、京極氏 浅井氏に仕えたとされて居ます
藤堂高虎は次男として生まれたが藤堂家は先祖代々の小領主ではあっても没落しており農民にまで身を落としていたとされます
幼名は与吉

・藤堂館跡
ここに藤堂家の館が有ったとされます ここで高虎は産まれたとの事
この地名に在士と書いてありますが 聞いたところ 最初は武士だっそうで 武士が居る村という意味でした
武士では恐れ多いところ言う事で 武士が在ると書いて 在士と名を変えたそうです
近隣に藤堂さんは居ますか?と、聞いたら 2、3軒ほどあるとの事 ただ どういった流れの繋がりかはハッキリとはわかってません…

・在士八幡神社の藤
室町時代 京都の石清水八幡から分祠の際に藤堂氏の始祖の藤堂景盛が子孫の繁栄を願って藤を二株植えました その藤は 毎年5月が見頃で 咲くと東京の藤堂家の本家に毎年藤を送るそうです
私が行ったのは

・高虎の騎馬像
津城にある銅像と同じのです 津城より後に作られたました
指は藤の花を指してるのだと教えてもらいました

・和の家
高虎の町を盛り上げようと作られた茶屋です 中には高虎の物が展示してあります
藤堂家の本家12代目が書かれた掛け軸を15代目から譲り受け飾ってあります

・我慢の鬼
東京都板橋区下赤塚の乗連寺にあった『我慢の鬼』と言う石仏です
これは朝鮮半島から藤堂高虎が持ち帰った物と言われています
これも15代目から頂いて ここ和の家の庭に飾られました

色々聞いて 色々学べ とても楽しい時間を過ごせました(^^)

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

2018年12月訪問

 

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f:id:kaori3211:20200222080149j:image藤堂家館跡 高虎の産まれた場所
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f:id:kaori3211:20200222080120j:image在士八幡神社
ここに藤の花がある 

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f:id:kaori3211:20200222080211j:image和の屋
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f:id:kaori3211:20200222080135j:image藤堂家12代目掛け軸 

f:id:kaori3211:20200222080457j:image高虎が朝鮮から持ち帰った がまんの鬼
f:id:kaori3211:20200222080146j:image近所の藤堂さん
もう酒屋はやってなく看板だけ