戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

豊国神社・太閤殿下の恩返し*太閤屋敷跡"

場所は岐阜海津市平田町小字です

立派な神社ではないですが由来はすごい
昔話の中に出てくる ココにまつわる秀吉の物語です
昔話の本から物語を一つ
《太閤殿下の恩返し》
平田町の者結(じゃけつ)には 太閤さん と言われる小字(こあざ)があり 「太閤さん」と皆から親しまれている 人の形をした石があります
太閤殿下とは 織田信長についで 天下統一した豊臣秀吉の事を尊敬して呼んだものなのです
日本のあちらこちらで侍達が天下を取ろうと争っていたところの事です
者結村に神保右近(じんぼ うこん)という土豪がいました
その右近の家に 汚ならしい子供がやってきました「何か仕事をさせてくれ」と、言うのです
あまりにもみすぼらしいその姿に 家の人達は考え込んでしまいました
何しろ行くあてもないようです
家の人は可哀想に思い その子を雇う事にしました
ところが この子は大変器用で 何をやらせてもよく間に合いました
馬に乗らせれば その辺り一番の乗り手でした
碁を打たせても 笛を吹かせても この子にかなう者は居ませんでした
おつかいで今尾村へ油を買いに行った時の事です 手相を見てもらったところ
「この子には 将来天下を取る相がある」と、言われた程でした
その上 目は過去 現在 未来のすべてがわかってるかのようにキラキラと輝いていました
ある時 神保家に一人坊さんがやってきました
そして この子の噂を聞き「是非一手お手合わせ願いたい」と碁を打つ事を頼みました
この子は快く引き受けましたが 碁の力はこの子の方がずっと上で たやすく勝ってしまいました
それからしばらくしてからの事です
主人の使いに竹鼻羽島市竹鼻町)へ出かけ それきり帰って来なかったと言う事です
聞く所によると その後織田信長の草履取りとなり 持ち前の知恵を働かせてドンドン出世したそうです
そしてついには関白という位につき 天下一の人となりました
幼い頃お世話になった恩を忘れずに右近の3人の息子を家来にして三百五十石という多くの土地を褒美として与えたそうです
この神保家は今は途絶えてしまったといいますが
村の人達はその屋敷跡を太閤屋敷と呼んでいます
太閤屋敷から出た石を祀って豊国神社としました」
平田のむかし話より

と、いう事で豊国神社行に行ってきました
小さな豊国神社ですが 現実に昔話は跡を残しています
人の形をした石と瓢箪あります
9月18日には〈太閤祭り〉が毎年行われています

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

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f:id:kaori3211:20200223074653j:image太閤屋敷跡
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f:id:kaori3211:20200223074657j:image屋敷跡から出た石
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