この日は義景のお墓に手を合わせてから 義景が亡くなる前に匿われていた洞雲寺(東雲寺)に向かった
当時は大野城の南麓辺りに有ったと言われている 後に今の場所に変わったのだそう ご住職の奥様が出て来てくれてお話しをしてくれました この洞雲寺は朝倉家から庇護を受けており 当時逃げてきた義景 家臣 家族をここで匿まっておりました ここなら安全だと思ったからだと言われてます
だが 織田方に寝返った 朝倉景鏡が 義景に嘘をつき ここ(洞雲寺)は危険だからと 六坊賢松寺(所在地については不明であるが現在の明倫町曹源寺あたりともいわれる)へ移るように勧めました
義景は六坊賢松寺へ移りましたが翌朝 景鏡は平泉寺衆徒と一緒に義景を襲いました
義景は景鏡が裏切ったことを知り「七顛八倒 四十年中 無他無自 四大本空」(苦しみもがいた四十年の生涯であったが、結局他もなく自もなく空しいものであった)という辞世を残して自害してしまいました
義景の最後であります
洞雲寺の奥様が 「義景の護持仏が有るので良かったら見ていってください」と、言われたので義景の見せてもらいました そして私の手にその仏様を抱かせてくれたのです
感動の瞬間です
高さ30㎝程で 小さな割には とても重かったです とても穏やかな顔をした仏様でした
今 義景はきっと仏様の様に安らかに眠っているのだとそう思いました
お茶菓子まで頂き 感謝で胸がいっぱいでした 奥様ありがとうございます
現在の義景のお墓ですが移動されたものであると言われますが
定かではなく 博物館の館長さん曰くですが 夜になると 義景のお墓の辺りから 馬の蹄の音がすると言われているので そこで有ってるのではないか?との話でした
笑って話てました(笑)
とても素晴らしい歴史探索となりました
読んで頂きまして有難う御座います😊
写真は承諾済みです
2019年4月訪問
朝倉義景墓所
洞雲寺
義景の護持仏です
腕に抱かせてもらいました
ここに六坊賢松寺が あった場所だと言われています
だから ここに義景の墓が元有ったのではと言われてます
朝倉景鏡居城の城があった亥山城跡です
堀と石垣は当時のままです