戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

近江八幡城 豊臣秀次の手掛けた城下町

7月15日のその日は何だか朝からずっと秀次の事が頭の中に出て来ていたので、何でなのか不思議でしょうがなかった。

昼過ぎにネットで流れて来たのが秀次の事で、よく見てみたら7月15日が命日だというではないか!そう命日だったんです!そして秀次の八幡城の八幡山では法要が行われると書いてある。流石に急に知ったし仕事では行けず…でも頭に秀次が出てきたので縁があると思い16日の次の日に八幡山城に行く事にした。

本丸には秀吉の姉であり、秀次の母である日秀が秀次の菩提を弔う為に建てた瑞龍寺がある。元は京都に有ったのが後世この八幡山に移されたのだ。
瑞龍寺に着いた、中の本堂にはお金を払えば入れます。本堂に入ると秀次の肖像画とお位牌がありました。手を合わせていると、奥様が来てくださって線香をあげさせてくれました。話を聞いてると、この肖像画とお位牌は15日の法要が終わると、その日に奥の保管場所に片付けられてしまうそうなのですが、私が行った次の日まで出ていたので「こんな事は初めてです 、いつもは片付けてしまって無いはずなのに出ているなんて…」と、おっしゃって、私と奥様もビックリでした。奥様に、「昨日秀次が私の頭の中に出てきたのですよ」と、ここに来た経緯を話したら 「きっと 貴女に手を合わせてもらいたかったのね」と奥様がおっしゃってくださいました。
私もそうだったら嬉しいと思い涙が出ました。

本堂の奥には秀次の銅像があります。そこの前でも奥様とお話しをしていて「ここの周りを掃除してると気配を感じるのよね」と、奥様が😅
でも、その銅像を見た時に私がハッ!と思った事は、ここで秀次は生きてるって事でした。秀次は、この八幡で生き生きとした人生を送ってた、 人生で一番楽しかったのでは!そう思ったのです。

最後は無念の死をとげたけど、秀次は この八幡城で城下町を見下ろしながら、あの頃の時を思い微笑んでいるのかもしれません。

伝えたい事は沢山あります。秀次は本当に秀吉にここまでされなきゃならないような人であったのか!私はそうは思いません… これだけの事しか書けなくて申し訳ないです。

 

秀次に逢いに来れて良かった

どうか安らかに

 

読んで頂きまして有難う御座います😊

 

2019年7月訪問

f:id:kaori3211:20200225182522j:image豊臣秀次肖像画

f:id:kaori3211:20200225182532j:image秀次の御位牌

f:id:kaori3211:20200225182536j:image秀次の銅像

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f:id:kaori3211:20200225182529j:image八幡山公園の秀次の像 瑞龍寺銅像をモデルに作られました
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f:id:kaori3211:20200225182525j:image八幡堀
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