秀久は戸次川での大失態で長宗我部元親の息子 信親を死に追いやってしまいます その事で改易になってしまいます
そんな秀久の返り咲いたきっかけを作ってくれたのは徳川家康である
小田原討伐にむけ わずか20人もの兵を連れて戦に挑む!
もう 自分には何も失うモノはない その思いから 秀久は 自分の陣羽織に幾つもの鈴を付け リンリンと鳴らし わざと自分の方に敵を寄せ付けようとしたのだ
ここで付いた名が 「鈴なり武者」である
先陣を切って 食ってかかる秀久 自ら槍を手に戦う 数少ない自分の兵と共に 功績を挙げたのである
死ぬ覚悟だったのであろう
失うモノは 何も無いのだから
まさに秀久の旗印の『無』である
秀久について戸次川の戦いで良い印象はないかもしれない でも、こんな馬鹿で無謀な武将は 中々おりません
私は好きですガムシャラな武将
そんな秀久の ちょっと良いお話でした