戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

2020-01-01から1年間の記事一覧

美濃三人衆 安藤守就菩提寺 龍峰寺

西美濃三人衆の1人安藤守就(安東とも言う)のお墓詣りに昨年の夏行ってきました山奥にある集落だ中に入ると ちょうど住職さんがお見えになり 色々話が聞けた元は この寺 岐阜の北方にあり 名前が 了法寺とついてたそうで こちらに移ってきて龍峰寺に変わっ…

西美濃三人衆の1人 氏家ト全のお墓と戦死跡地

場所は岐阜の海津ですト全は土岐頼芸→斎藤道三→義龍→龍興に仕えたが龍興とは折り合いが悪かったとされており 以後は稲葉一鉄や安藤守就と一緒に織田信長の家臣として仕えました この三人を合わせて西美濃三人衆と言いますこの頃に卜全と名乗ったと言われます…

石山本願寺軍師 土岐蔵人 (善永寺)

場所は岐阜 本巣文殊です本巣の文殊という場所は とても歴史深いお寺が沢山あり、その中でも戦国時代に関わる話が沢山残っています今日はその一つを紹介しましょう岐阜県山県市にあった大桑城が斎藤道三によって落城すると 美濃の守護大名であった土岐頼芸は…

信長の家老 平手政秀を巡る

爺なくして信長の今は無いと言ってもよい人でした名古屋市西区にある"東雲寺"に政秀の首塚が有ると言う事で伺った なぜ首塚?って謎だった 自分で自刃をしていて しかも戦にも出ていないのに首を切る必要があるのか?不思議だった とりあえず東雲寺に向かう …

お鳥屋敷"豊臣秀次の秀次長屋

大垣城の、南西の堀の位置にあたる場所に、昔大垣城に在住していた頃の豊臣秀次(当時は三好秀次)の屋敷がありました。後に大垣城に戸田氏が入城し、その場所は戸田下屋敷になりました。戸田氏庸の時代になると、その下屋敷の鷹狩りを身近で楽しみたいと言…

三成の弟の行方は…石田善能寺

場所は岐阜揖斐大野町です石田善能寺は 石田三成の弟の光重の子孫の方が代々住職を務めて来られました善能寺がある寺内町の城郭伽藍をはじめとして大野町の城や郷土史について研究しておられるのは ご住職の息子さんの石田明乗氏でありますただ今住職は15代…

石山合戦"教如上人住居跡

場所は岐阜 郡上明宝下小倉です 意を決して行きました獣怖かったとりあえず本題に入る前に教如上人の経緯から話ます織田軍に周囲を包囲された本願寺は籠城が続く中 毛利からの食料供給の道も断たれ顕如上人はついに降伏を決意しますその2年後には朝廷の仲介…

平塚為広の元垂井城跡

場所は岐阜不破郡垂井町です 実は平塚為広の垂井城は今碑のある場所ではなく、元は違う場所でした。 垂井城から北西の位置に"長谷氏屋敷跡"があるのですが、そこが、元垂井城だと言われていた場所なんです。平塚為広は美濃の出身ではないので、いつ美濃に来…

馬場信春 戦死の地

長篠の戦いにて自らが犠牲になる事を決意した信春は武田勝頼を逃します 織田方の追っ手を食い止め、鎧を脱ぎ捨て出沢の岩上に立ち「我は馬場美濃守信房なり!討って成功に致せい!」と叫び 徳川家臣の河合三十郎が突き出した槍を素手で取り自らの胸を突き自…

服部半蔵の生誕地

場所は 三重県伊賀市予野です 少しわかりづらい場所です 私は民家の人の庭に車を停めさせて頂きました

明智光秀の家老 斎藤利三屋敷跡

場所は岐阜大垣曽根です斎藤利三と言えば光秀の大河には欠かせない人物であると思っています この日は稲葉一鉄の曽根城に行ったので 曽根城から北西に行った場所にある斎藤利三屋敷跡を見てきました今は何も残っていません石碑だけです古地図を元に作られて…

"姫が淵" 美濃 猿啄城伝説

美濃坂祝の勝山には昔城主であった多治見修理という武将の猿啄城がありました。猿啄城の南には木曽川が流れその向こうには織田信長の住む尾張がありました。天下統一を目指し美濃を制圧しようとしていた信長様は犬山城、鵜沼城を攻め落とし、とうとう猿啄城…

今川義元公の今川塚(今川社)

場所は愛知県東海市高横須賀町戌亥屋敷ですなぜ東海市に義元の塚があるのか…地元の今川組(笑)の会の方に話を聞いたので今からそのお話をしようと思います時は桶狭間!今川義元と織田信長の戦い今川義元が敗れると義元の身内や家臣達は一斉に各地に逃げた勿論…

大谷吉継 出生地

以前に近江の長浜市余呉小谷に行ってきましたここは吉継出生の伝承がある八幡神社です ちょうど民家の人が神社の前で草引きをしていたので話を色々聞きました当初有ったとされる資料は焼けてしまって燃えて何も残っていないとの事 ただ地名として 小谷(おお…

信玄の隠し湯 "毒沢温泉"

長野にある信玄の隠し湯です 武田信玄が金鉱掘りの際に怪我をした坑夫をこの湯に入れて治したといわれています 信玄が外敵にこの温泉を知られないように自ら名前を付けたなどの説もあるようです傷などを この温泉で癒していたのでしょうね 静かでひっそりと…

近江の水軍!堅田水軍

場所は滋賀県大津市堅田です 明智光秀は 坂本城主の頃 信長様の意を受けて 近江平定に腐心しますその中の一つは琵琶湖水路の制圧 水軍の確保である光秀は琵琶湖の湖上権を掌握してきた堅田衆の堅田水軍を傘下におき 囲い船の造船を命じると共に浅井攻めでは …

明智煕子を巡って

場所は岐阜土岐市妻木です明智光秀の妻である煕子の妻木城まで以前に行ってきましたと、言っても妻木城は前に攻めたので登らず 妻木城歴代城主の菩提を弔っている崇禅寺に行きました。目的は煕子のお墓と御位牌があるかどうかを確かめに行く為だ。(滋賀の西…

秀吉の水攻め作戦 太閤山砦

場所は岐阜羽島です秀吉の戦略といえば水攻めが有名ですね 美濃でも水攻めが行われました 織田信長の死後 実権を掌握した秀吉と織田信雄、徳川家康とが対立し小牧長久手の戦いが起こりました 長久手で家康に敗北した秀吉は作戦を変更して長島城の信雄を脅か…

川浦温泉 山県館"山県昌景の湯

武田信玄の隠し湯の一つです山梨の勝沼インターを降りて三富川浦方面に向かうと、葡萄畑が一面に広がっている葡萄の生産も盛んで葡萄畑を抜けていくと山間に入る、結構奥だ!車で走る事40分 看板が見えてきた!山県館だ! 実は この山県館は信玄公の「川浦の…

加藤清正 清正公社

愛知県津島の上河原町に加藤清正のゆかりの地があります津島神社から東の場所にあり 民家の中を入ってくので 奥の方をよく見ていないと通り過ぎてしまうくらいわかりずらいなぜ津島に清正?と、お思いになるでしょうが経緯は次ぎの通りです 清正がまだ幼少で…

信長様安土城築城計画 木村城(常楽寺城)

場所は近江八幡安土町です近江八幡に行った時 ある場所に寄ってきました それは木村城(別名 常楽寺城)です 六角氏の観音寺城の外港として機能した琵琶湖東岸の港 常楽寺港を守る木村城主の木村氏は 元々沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴…

徳川家康の腰掛け石と仙石秀久の仙石氏(教念寺)

場所は岐阜の本巣真桑です 教念寺には 関ヶ原に向かう途中に家康が立ち寄り腰掛けたと言われる腰掛け石がある実は この教念寺のご住職は仙石さん! そう 仙石秀久の仙石家です!秀久の血が混じってるかは 御住職に聞いたのですが そこはわからないとの事ここ…

仙石秀久と上印食城

場所は岐阜岐南町です ここは仙石秀久の父 久盛が信長時代 美濃攻めの最に砦を作り守っていた場所である 今は専光寺になってます岐阜城から真南にあります ここから岐阜城がよく見えますね!秀久はここをウロウロしていたのであろうなぁ 説明板は何もありま…

片桐且元の首塚と且元居館跡

場所は滋賀県長浜市高月 且元の首塚が高月に有るので行ってみた 高月駅の西側の路地裏を入った場所に塚はある 何故に首塚?且元は駿河で病死だと言われているのに不思議であった。ただ且元に関する資料は少なく事実病死かどうかはわかってはいない。 高月の…

武田信玄➖矢除石➖慈雲寺

場所は長野県諏訪です 信玄は慈雲寺の祖と言われる天桂上人を師としており 戦場へ行く時に慈雲寺に立ち寄って上人に戦勝の教えを請いました上人は境内の大きな石の上に立って「私を弓で射てみよ」と至近の距離から射かけさせたところ矢はすべて岩ではねかえ…

武田24将 秋山虎繁まくら塚と大将塚

場所は岐阜恵那です 秋山虎繁は武田方に寝返らせようと岩村城主である おつやの方を調略し 自分の妻としました (2人は恋に落ちたとも言われています)その事で岩村城は武田の手に渡り信長様の実子が人質として武田方に送られます身内の裏切り、大事な息子を…

おあむ物語 大垣城

戦国時代といえども、さすがに女性がいくさの前面に出て戦うということはめったにありませんしかし、血を見るのも怖い!と恐れるようなことは言っていられませんでした おあむは石田三成の家臣の娘で、慶長5年の関ヶ原の戦いのおり、石田方の大垣城に入りま…

旧浅井氏宅跡"長政の血を受け継ぐ者

この銅像 愛知県春日井市牛山町の名鉄線 間内駅東にありますなぜ長政の銅像がそこにあるのか! 話によると小谷城落城後 織田信長の命により長政の嫡男 万福丸は関ヶ原で秀吉の手によって殺されました 次男の万寿丸は まだ赤児だったので命を助けられ後に出家…

新加納の一夜城

場所は岐阜各務原新加納です一夜城と言えば有名なのは墨俣の一夜城である だが墨俣の一夜城が出来る一年前には既に新加納に一夜城が作られたのだ ここでの実績を得て墨俣一夜城は断行されたのである信長から稲葉城攻めの前線拠点として各務原台地の一角であ…

秀吉の正室寧々のルーツ(藤橋城)

場所は岐阜揖斐東杉原です藤橋は 秀吉の寧々のルーツであるという事で 藤橋城のある東杉原まで行ってきました地名を見てお解りの通り 杉原 そう寧々は 杉原一族の出やったんですねでも元は杉原って苗字ではなかったのです その経緯は話の途中で出てきます 杉…