美濃坂祝の勝山には昔城主であった多治見修理という武将の猿啄城がありました。猿啄城の南には木曽川が流れその向こうには織田信長の住む尾張がありました。
天下統一を目指し美濃を制圧しようとしていた信長様は犬山城、鵜沼城を攻め落とし、とうとう猿啄城へと攻めてきました。
多治見修理には3人の姫君がおり、その中でも長女の春姫は男勝りで武将の娘だけあり幼少期から武術を身につけて、男に勝る程の腕前でした。
そんな春姫は織田軍が攻めて来ると知り、自らも戦う決心をしました。
「私は武士の娘、一緒に戦います」そう言いながら数十名の家来と共に敵方へと攻めていきました。
織田軍の猛攻撃に、修理の家臣は修理に逃げるように言い、少ない家臣と共に何とか逃げました。
だが、娘の春姫は崖の淵まで追い込まれ逃げ場を失ってしまいます。
「もはやこれまで…敵の手にかかるくらいなら」と、言い木曽川目掛けて飛び降り命を落としてしまいました…
その後、その場所は"姫が淵"と、呼ばれるそうになったそうです。
戦国の世は、なんと悲しきものか
姫様の自らの命を捧げてまでも戦い散った思いは、ここに生き続けるのでしょうね
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