戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

人柱およしと善光寺 

郡上八幡城の改修工事で人柱となった"およし"の話は御存知でしようか?

改修工事に使われる材木を乗せた荷台が重く、何人もの男達が押しても全く動かなかった

そこにおよしが加わると今からまであれだけ動かなかったのに、スイスイと動くではないか

およしが手を離すと動かなくなる

そんな不思議な力を持つおよし

城の柱を立てるのに何度やっても立ちません

昔からの呪いで人柱を立てる事となり、人柱におよしが選ばれたのでした

およしの両親や村人達が猛反対しました

だがおよしは城の為お殿様の為と命を捧げる事にしました

そうして完成したのです

悲しきお話ですね…

郡上八幡城には、およし観音が有りおよしの霊が祀られている
だが、およしの本当の祠は郡上八幡城の下にある善光寺にあるのだ

元は殿町の辺りに有ったのだが月日が経つ事に人々はおよしの存在を忘れて行くようになりました
善光寺の昔の御住職が本堂でお経を唱えていると御住職の後ろに毎日およしが立つようになりました
「どうか私をこのお寺に祀ってください」と、お願いしてくるのです
毎日来るので御住職は「本物ならば証拠になる物を何か置いて行きなさい」とおよしに言いました
およしは着物の袖と草履を置いて行きました
それからというもの、およしの祠は善光寺に移し祀られたのです


ある時、今のご御住職の奥様が近所に住む高齢のお婆さんにある話をきいた
大正時代になり、大そうな火事が郡上八幡城の麓付近で起きた
広範囲で燃えたにも関わらず火事の起きた範囲に入っていた善光寺は燃えず、その周りは燃えてしまったのだと
お婆さんはこうも言いました
「およしさんを忘れるような事をすると火事になるのだよ」と


事実はどうかはわからない


私は思う、善光寺はおよしに救われたのではないかと
およしは城の為に人柱になった
そして郡上八幡城は完成したのです


ただ忘れてはいけない
およしという存在を


読んで頂きまして有難う御座います

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f:id:kaori3211:20201013074539j:imageおよし観音