戦国女士blog

戦国大好きな歴女子が、歴史探索をしてきた記事を載せてます(・∀・)

森蘭丸・坊丸・力丸の供養

蘭丸の資料を買った時に気になる場所があり そこへ以前に行ってきました
ある森蘭丸の資料の中にこう書いてある
妙向尼(蘭丸の母)は本能寺で亡くなった最愛の三人の息子の弔いを兼山城北東の可児郡伊岐津志村中野(現 加茂郡八百津町西津)に一目千本卒塔婆を立て、沙門大衆の供養を受けて亡き三兄弟の霊を弔うために金山近郷の僧侶を請じて葬儀を行った
今もこの地には「せんぼどう」という地名は残っているが当時中野原は金山城下の内で 辺り一帯が広い野原であり 森氏の軍事用の施設の一部であった

信長から鳥峰城を頂いた可成によって城の名前が ここの山麓に祭られていた 南宮神社の祭神の名を借りて金山城としたとある

ここまでが資料の文だ

その"せんぼどう"には蘭丸、坊丸 、力丸の三兄弟の供養塔が有ったのですが 後に 森家の菩提寺である可成寺に移されました
'せんぼどう"の場所について資料館の方に聞いたのだが 兼山城から東へ400メートル行った中野と言う場所で 今は"せんぼどう"と地名ではないから ハッキリとした場所はわからない、と言われました

仕方ないので中野にある町役場に行き聞く事にした。そこでも"せんぼどう"の場所はわからない、と言われ 八百津の役場ならわかるかもしれないと聞いたので 行ってみたら ちょうどその日は郷土史家の方が居ますよ!と言われ会わせていただきました
話を聞くと"せんぼどう"はこの辺りで 本当は"せんぼと"と言い、元は首切り場であったのだそう
当時その場所は "なおれ"とも呼ばれており よくTVや映画でみる「そこになおれ!」と聞きますが まさにその"なおれ"の意味です

首切り場だけに その名がついていたそうな
森家の軍事施設の場所であるならば そうだったのかもしれない…
時が経ち 流石に なおれ と、いう名は縁起が悪いので中野に変わったのだそう
なぜそのような場所で蘭丸の母は葬儀を行ったのか…と、郷土史家の方もわからず のようでした
供養塔の有った場所は今はコンクリート工場になってました

資料の中には蘭丸の母 そして兄の長可の気持ちが綴られています

森長可本能寺の変の報を聞き信濃国から命がけで金山城へ帰城した
すぐに長可は母公の前にお出になられたが、ただの一言も、もの言わず、ただ涙にむせぶばかりであった
母公は長可の側に寄り鎧の袖をつかんで泣いた
「しばらくぶりですね、武蔵どの。さてもどうしようもない事です。世の中に、武士ほど はかないものはない。元亀の初めに三左衛門(夫・可成)殿に先立たれた時は、その事ばかりを考えていたが、あなた達兄弟5人がいること故、それを慰めにして しばらく歳月を過ごしてきた。
ここまで皆成長し、その立派な武者ぶりを見るにつけ、ああ、なんて器量ある者どもかな。
我が子に勝る者はおらぬであろう、と、人の持たざるものを持つように嬉しくて、朝夕姿を眺めて感動する時は、もはや三左衛門殿のことも忘れ、我が子を月よ花よと思い、私はなんという果報者かと、人にも語り、自らもそう思っておりました。
蘭丸、坊丸、力丸、3人ともに信長様へ召し出され、中でも蘭丸は器量人に勝る発明ぶりは他の者を抜きん出ていると耳にし、私は武運の久しからんことを、神にも仏にも祈り、子孫の繁栄を目にしたくて、我が身の百年の命をも祈りました。
それなのに、3人とも本能寺にて討死したというではないですか。
この身のよんどころなく、共に自害をもして果てようと、千度、と百度と思いました。
又、ある時は思い直して、主君の共をして華やかに討死するのは武士の面目と考えて忘れようとしました。
しかし朝夕、人が語るのを聴くにつけ、忘れるひまもなければ、何の因果でこの身は存命しているのかと考え、あの子達のもとへ参ろうと、我が如来様にお暇(いとま)を申し上げ、どうかお迎えに来てくださいと、日に何度も心乱していたが、武蔵どのも、仙千代もやがては帰って来てくれると待ちわびました。
道中危険があったと聞いておりましたが、よく恙無く帰って来てくださいました。
こうして逢うことが叶った事の嬉しさは、夢ではないでしょうか。」
妙向尼のこの言葉に、長可は涙を押さえて語った
「お嘆きなさいますな。そのようにおっしゃられても、この世は生者必滅、会者定離の習い、驚きなさることではございません。殊に武士の家に生まれたならば、戦場に出て、生きて帰ろうと思う者は一人もおりません。恩賞をむさぼり、利益を願う事は、家名をけがすのみでなく、子孫を滅ぼす事でございます。
武家にお生まれになられた上は、女性であっても、その道理をご存知ないはずがございませんでしょう。
お嘆きを辞め、念仏を怠らずに唱えてください。
母上の回向は、今生にては、我ら仙千代の為の祈祷となし、未来にては父・可成様と3人の者どもの為の祈祷となしてください。みな、一連の縁となりますようにとお祈りください。」
そうやって長可は様々にお諌め申し上げた。

母と兄の想いである…
苦しくも受け止めなければならぬ現実…辛かったであろう

私は 蘭丸、坊丸、力丸の遺骨を分骨しているのではなかろうか…と、思ってます 母の側に置いておきたいと思うのは母心です
本能寺が起きる前に3人から母へ手紙が来ており 「近々帰りますと 早く母の顔が見たい」と そのような事が書いてありました その夢も叶わずとなった今 3人を胸に抱きたいという思いでいっぱいであったろう

戦国の世とは…

 

今日も読んでいただきまして有難う御座います😊

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f:id:kaori3211:20200624220350j:image"せんぼどう"に有った時の 蘭丸、坊丸、力丸の供養塔
f:id:kaori3211:20200624220354j:image可成寺に移された 3人の供養塔
f:id:kaori3211:20200624220358j:image"せんぼどう"の場所 コンクリート工場
f:id:kaori3211:20200624220346j:image"せんぼどう"の地図です